エドゥアルド・ガレアーノ、 収奪された大地―ラテンアメリカ500年 |
本書に対するもっとも好意的な論評は、権威ある批評家からではなく、本書を発禁することで結果的に本書を賞賛することになった軍事独裁政権からなされた。
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ブラス・デ・オテーロが述べているように、「彼らはわたしの書いたものを人々に見せようとしないが、それはわたしがわたしの目で見たものを書くからである」
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先の四月十三日にエドゥアルド・ガレアーノが亡くなった。七四歳だった。もうずっと肺がんでふせっていたのだ。
今までこの人に触れることはなかったけれど、以前本宅で書いたエントリー『ピノチェトと愉快な仲間たち』に重なる部分を『収奪された大地』から抜き出しておこう。
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一九七六年八月、チリのオルランド・レテリエルは論文を発表し、そのなかでピノチェト独裁制のテロと特権的小グループの「経済的自由」は同じメダルの裏表であると告発した。
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論文はThe Nationに掲載された。特権的小グループとは、エントリーにも書いたフリードマン率いるシカゴ・ボーイズたちである。
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サルバドール・アジェンデ政府の閣僚であったレテリエルは、アメリカ合衆国に亡命していた。そして、その直後、ワシントンで車にダイナマイトを仕掛けられて死んだ。
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この暗殺は論文発表のひと月後、九月二一日にワシントンでなされた。彼以外にも、アジェンデ政権の軍要人だったカルロス・プラッツ将軍が、七四年九月二四日にブエノスアイレスの駐車場で爆破されている。
そんな中、ピノチェトとシカゴ・ボーイズは国営企業をどんどん民営化して外資に売り渡し、国内の経済を「自由化」した。
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自由市場?一九七五年初以来、チリでは牛乳の価格は自由である。結果は予想通りで、二社が市場を支配している。牛乳の価格は消費者にとっては直ちに四〇%上昇したが、生産者価格は二二%も下落した。
人民連合時代に大幅に低下した幼児の死亡率は、ピノチェトの登場以後、劇的に上昇した。レテリエルがワシントンの路上で爆死したとき、チリの人口の四分の一は所得がまったくなく、外国からの施し物か、または、彼ら自身の頑強さや狡猾さのおかげで生き延びていた。
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最後の部分は、犯罪で喰ってることの婉曲な表現である。
なんたって、ずいぶん長い間「チリの奇跡」は自由主義経済の勝利として受け取られていたのだ。エコノミスト紙なんかゴルバチョフに対して、「ピノチェトを見習って改革しろ」と言ってたくらいだ。
フリードマンは晩年、チリの奇跡について、少なくともアジェンデ政権下でのインフレを抑えることに成功した、と言う。その後のごちゃごちゃについては、チリ・ペソとドルをリンクさせて相場を固定化したのが失敗だったと、まるで他人事のように語っている。おっさん、ええかげんにせえよ。
この本を読むのは、当時の南米では至難の業だった。今ではベネズエラのチャベスが、わざとらしくオバマにプレゼントしてたりしてるけど。
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アルゼンチンでは、もはや政令によっていかなる本も禁止する必要はない。新しい刑法が、いつもの通り、破壊的と見なされる書物の著者と発行者を有罪として罰するからである。しかしまた、それは、少しでも疑わしい原文をあえて印刷すれば印刷業者を罰し、それを大胆にも売れば配本業者と書店主を罰し、そして、さらにこれだけでは不十分だと言わんばかりに、読者がそういう本を読んだりしまっておけば読者をも罰するのである。
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(ウルグアイでは)軍人たちはもはや書籍を焼いたりはしない。今はそれを製紙会社に売却する。製紙会社は、それを刻んでパルプにし、消費市場に戻す。マルクスが大衆の手に届かないというの正しくない。それは確かに書籍の形ではないが、ナプキンの形になっているのである。
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病床でガレアーノは、カストロとオバマが握手したことを聞いただろうか?
冥福を祈る。R.I.P.
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