2015年5月29日金曜日

真実を語ると早死にするそうなのでなるべく嘘つきになって長生きしたほうがいいのかな【ピケティを読んだらシリーズ】

 これまで私たちは貧しさと戦い、とにかく物質的な豊かさを求めてやまなかった。しかし、そうするうちに人間の美徳や共同体的価値を、うっちゃらかしてしまったんじゃないだろうか。この国のGDPって五〇〇兆円くらいあるっていうけど、社会をGDPで評価するってことは、放射能除染やオリンピック広告や電車に飛び込んだ人を運ぶ救急車をその勘定に含めることでもある。それだけじゃない。街角にとりつけられる監視カメラや、それに映ったならず者をぶち込む刑務所、天然鮎を閉め出す河口堰、自衛隊を海外にやるための船や、いつ落ちるか何のために必要なのかわからないオスプレイ、さっぱり使用されない取調室の録音機、加藤君が振り回したナイフ、オレオレ詐欺(特殊詐欺っていうんだっけ?)で使用される電話代も電車賃も振込手数料も、犯人が手に入れた金で豪遊してホステスに渡すチップも。こういったものが全て含まれてしまうのだ。
 GDPには、子供たちの健康や教育の質の高さ、遊びの楽しさは反映されない。美しい歌やすてきな結婚も。議員がきちんと議論したとしても、公務員がきちんと仕事したとしてもだ。
 愛も勇気も友情も、アンパンマンが大切にするようなすべてのものが無価値となる。
 GDPは人生を豊かにするものを全部、どっちでもいいこととしてしか評価しないのだ………



 えーっと、なんか新宿駅南口ガード下で明け方に演説してるおっさんみたいなことを言い出したな、と思われた方も多いんじゃないかと。
 これはロバート・F・ケネディの演説を今の日本に当てはめて書き直してみたものだ。
 この演説は一九六八年三月十八日に行われた。
 その三ヶ月後、兄のJ・F・ケネディと同じ運命が待ち受けていようとは、神ならぬ身なれば知る由もなかった。
 当時はGNPって言ってて、私も中学生くらいまではそう教わっていた。多少計算が改善されたのかもしれないけど、NがDになったところで大した違いはない。この指標を作り上げたクズネッツピケティの本に否定的に再評価されてたっけ)だって、こんなもんで国の富を量るのは間違ってる、と考えていた。
 でも、みんなずっとそうしてる。なんでかっていうと、まあ、やりやすいんだろうね、いろいろと。
 このエントリーでもふれた「価値の逆転」とも関係するんだけど、金に臭いはなくとも善悪の彼岸で踊る数字に囚われるのも、なんだか妙な話だ。
 誰もが薄々気づいていても、誰もそれを言い出せない。
 眼をかたくつむらないと、太陽に顔を向けられないようなものか。

 ちなみに、演説のオリジナルはこちら。全体のごくごく一部。
And this is one of the great tasks of leadership for us, as individuals and citizens this year. But even if we act to erase material poverty, there is another greater task, it is to confront the poverty of satisfaction - purpose and dignity - that afflicts us all. Too much and for too long, we seemed to have surrendered personal excellence and community values in the mere accumulation of material things. Our Gross National Product, now, is over $800 billion dollars a year, but that Gross National Product - if we judge the United States of America by that - that Gross National Product counts air pollution and cigarette advertising, and ambulances to clear our highways of carnage. It counts special locks for our doors and the jails for the people who break them. It counts the destruction of the redwood and the loss of our natural wonder in chaotic sprawl. It counts napalm and counts nuclear warheads and armored cars for the police to fight the riots in our cities. It counts Whitman's rifle and Speck's knife, and the television programs which glorify violence in order to sell toys to our children. Yet the gross national product does not allow for the health of our children, the quality of their education or the joy of their play. It does not include the beauty of our poetry or the strength of our marriages, the intelligence of our public debate or the integrity of our public officials. It measures neither our wit nor our courage, neither our wisdom nor our learning, neither our compassion nor our devotion to our country, it measures everything in short, except that which makes life worthwhile. And it can tell us everything about America except why we are proud that we are Americans.

 あとオマケ
 しかしまあ、なんなんだろうね、こういうの↓
 真ん中(高学歴〜)はややまし。てか、こうでもせんと売れんのか。やれやれ。

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