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【健康増進法(平成十四年八月二日法律第百三号)】
第一章 総則
第一条 この法律は、我が国における急速な高齢化の進展及び疾病構造の変化に伴い、国民の健康の増進の重要性が著しく増大していることにかんがみ、国民の健康の増進の総合的な推進に関し基本的な事項を定めるとともに、国民の栄養の改善その他の国民の健康の増進を図るための措置を講じ、もって国民保健の向上を図ることを目的とする。
(国民の責務)
第二条 国民は、健康な生活習慣の重要性に対する関心と理解を深め、生涯にわたって、自らの健康状態を自覚するとともに、健康の増進に努めなければならない。
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なんかギャグみたいだけど、大マジ。
この小泉政権下でいつの間にか決まっていた法律は、国保や介護以外にも一般人の生活に大きく関わっている。たとえば副流煙の防止とか。最近禁煙と喫煙を分ける店が普通になったのは、別に嫌煙論者がファシストのようにうるさくわめいているからではなく、この法律でばっちり決まっているのである。
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第五章 第二節 受動喫煙の防止第二十五条 学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。
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もはや「不健康」であることは、国家によって許されなくなっているのだ。オーウェルとか聞いたらどう思っただろう?
さて、ヘーゲルは「病が精神の始まりである」と説いた。
さて、ヘーゲルは「病が精神の始まりである」と説いた。
精神現象学 |
別段難しくとらなくても、「知恵熱」を思い出してもらえれば良い。
考えるということは、病むことから始まるのである。
じゃあ、その「精神」によって「健康」を考えるってのは何なんだろう。なんつーか、火事を消すのにホルマリンぶっかけてるというか、登山するのにロンドンブーツはいてくるというか、どこかちぐはぐな感じがする。「健康」というのはむしろ、それについて考えないでいられる状態を言うのだろうけれど、考えていなければ「健康」ではいられないのが、この二一世紀という時代なのだ。
「考えない」ということは「変わらない」ということだ。
「健康」というのは、変わらないでいられる状態に自分を戻してやる、ということになる。
それは「欲望の本来性」の否定に繋がる。
なぜなら、「欲望の本来性」とは自己を変革するためにあるからだ。
欲望ってのは普通、自分自身を守るために自分以外の外部を変革するものだ、という風にとらえられているけれど、その本来の機能は自己を変革することにある。
それはときに「成長」に繋がり、「元気」を回復したりもするけれど、「病」や「死」や「老い」へも繋がっていくものだ。
実際人間は、病むために喰らい、死ぬために交合し、老いるために眠るのである。
それを素直に受け容れるには、「欲望」を断ち切り、「欲望の本来性」に立ち返ることとなる。
ただ「健康」でありたい、と願うことが一番欲深と言うか、あらゆる「欲望」へと繋がっていくものなのだ。
なんかごちゃごちゃした話になっちゃったけど、要するに今の日本は自分の「欲望」の在り方まで、法律に決められちゃってるってわけ。
そこまで言うなら、原発やめろや。まったく。
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