それ生まれながらの閹人(えんじん)あり、人にせられたる閹人あり、これを受け容れるものは受けいるべし(マタイ伝十九章十二節)
…………
というイエスの言葉が聖書にはあって、これは後世様々な思惑を生んだ。
「閹人」というのは耳慣れない言葉だが、言わば性器不全のものであり、「人にせられたる」とは宦官の意である。口語訳ではただ「独身」となっており、新共同訳のように「結婚できないもの」とわかりやすく書かれているものもある。
これをもって「イエスは第三の性を認めていた!」という人もいるが、それはともかく、そういうものが存在することを知っていたのは確かだろう。
正法眼蔵〈2〉 (岩波文庫) |
有二形は字面を見てわかる通り、両方ついているものである。
黄門とは中国における禁門のことで、そこを宦官が守っていたことから、宦官の別称、さらには生まれつきの閹人もそのように呼ばれた。ちなみに水戸黄門の黄門は中納言の別称であって、別に光圀がうにゃうにゃだったわけではない。ちゃんと子供いるし。
さて、十八世紀後半、ロシアにとあるキリスト教の一派が生まれる。
その名をスコプツィ(去勢派、単数形はスコピエツとなる)といった。フルイストゥイ派(鞭身派)という、自分を鞭打ちながら歩いたりするセルフSMな派から別れた一派である。
創始者はコンドラチ・セリワーノフというおっさんで、聖書のマタイ伝の一節のみを真理とみなし、神の国に至るには多くの人間が閹人とならねばならず、その数が十四万四千人に達した時、地上に千年王国が現れると説いた。
セリワーノフは「新キリスト」とあがめられ、多くの信者が自らを「去勢」した。どれくらい多かったかというと、このままだとロシアの人口が減るんじゃないかと皇帝がびびるくらいだ。脅威を感じたアレクサンドル一世はセリワーノフ監獄にたたきこみ、禁令を出してスコプツィを迫害した。それでも十万近い信者が存在し、一九三〇年の去勢派裁判が行なわれた際にもまだ二千人が残っていたという。
去勢とは体の出っ張った部分を断ち切ることでなされる。男性は股間を、女性は胸部に存在する出っ張りを平らにしてしまうことが行われた。こうした例はロシアだけではなく、古代においてもポントスのキュベレ神殿において、祭司たちが狂乱をまき起こし、数千人が自ら去勢するという惨劇が起きた。
さてさて、スコプツィの特徴は、耳にするだけで股間が縮み上がるような行いだけではない。
彼らは、まったく本を読まなかった。
読むことを禁じられていたのだ。
聖書ですら、冒頭の一節の他わずかな章節にしか価値を認めず、読もうとしなかった。
本を読まぬものはやがて、己を去勢することとなる。
それは思考することを捨て、牛馬のごとくただただ従順になるためになされるのだ。
ロシア教会史 |
0 件のコメント:
コメントを投稿