Kukai the universal―Scenes from his life
英訳『空海の風景』 |
試験の問題に出題されたとかではなく、受験勉強中についつい読みふけってしまったからだ。父親の書棚にあらかた揃っていた、というのも良くなかった。『竜馬がゆく』とか、中学生が読んだらはまらないわけがない。おかげで初めての一人旅は、高知の桂浜へ龍馬の銅像を観に行ってしまった。しかし、わざわざ足を運んだ割には大した感興も覚えず、むしろ薄暗い水族館のプールに巨大なマンボウが何匹も浮かんでいたことの方が印象に残っている。マンボウは水族館で飼うと、すぐ壁にぶつかって死んでしまう、と水槽の看板に書かれていた。
竜馬がゆく (新装版) 文庫 全8巻 完結セット (文春文庫) |
憶測だが、司馬遼太郎は薩摩が嫌いだったのではないか。
司馬文学の原点は太平洋戦争末期の従軍体験にあると自ら語っているが、司馬遼太郎が嫌った旧軍の「体質」は、その淵源をたどると薩摩に行き着くことが多い。
自らそうとはっきりは口に出さなかったし、むしろ明治維新を完成させた薩摩を褒めることの方が多かったが、無意識下に受け付けないものがあったのではないか。先に述べた、繰り返される同じエピソードというのは、西郷隆盛の欠点を表したものである。なぜか西郷が問題の多い某氏を重く用い、後に方々で差し障りが起きた、というものだ。
西郷信者の海音寺潮五郎と親交があった時期は、『竜馬がゆく』で見られるとおり、西郷隆盛をきちんと「傑物」として扱っている。しかし、海音寺が引退宣言(一九六九年)したあと、何かしら思う所があったのやも知れない。『世に棲む日々』や『花神』も宣言以降に書かれているが、あきらかに以前とは毛色が違うものになっている。
『花神』は原作を読む前に大河ドラマを熱心に見ていた。なんでも記録的な低視聴率だったそうだが、私には非常に面白かった。中村梅之助演じる村田蔵六(大村益次郎)が、とうふ好きの運動音痴で、今風にいえばコミュニケーション障害っぽく描写されているのが良かった。こういうの、靖国神社の銅像のイメージが強い人たちには、けっこう衝撃的だったかもしれない。
村田蔵六は西郷隆盛をまったく評価しておらず、一種の「奸物」と見なしていた、というのも新鮮だった。
個人的に一番好きなのは『胡蝶の夢』である。
明治維新を万歳三唱していた『竜馬がゆく』とはうってかわって、その問題点に焦点を当てるようにして書かれている。
主人公の司馬凌海の人間描写は、身近にモデルがいるのではないかと思えるほどリアリティがあった。
以上、なんとなく司馬遼太郎っぽく書いてみようとしたけど、やっぱ全然やね。
あと、司馬遼太郎の古本の評価は『梟の城』の単行本初版以外は、それほど高くない。でも並べておけば売れるので、歓迎されないということはない。むしろありがたい。死んだ後もちゃんと売れてくれる作家って、ほんとに珍しいんで。
0 件のコメント:
コメントを投稿