2016年6月5日日曜日

「かっこいい!」という名の病

自己愛な人たち (講談社現代新書)



 春日武彦氏によると、統合失調症患者というのは格言の類いが大好きなんだそうだ。

 さもありなん。ゲーテなんか一行も読んでなくても、「ゲーテは言った」とやれば手軽に自分がステップアップできるからだ。なんとなく「かんたんらくらくダイエット!」とか「聞き流してるだけで英語がペラペラに!」てのと似ている。

 狂人と天才の共通点は、地道な努力ってやつから遠ざかっている、というところだ。
 こういう共通点は、紙一重の「紙」なんだろう。
 何も努力しなくても「かっこいい」人間になりたいという恥ずかしい欲望は、人間誰しも抱えながら表に出さないようにしている。それを隠さないのが狂人と天才で、ほとんどの場合が失敗して狂人になる、といったところか?
 いや、天才を妄想するものが狂人となるのだろう。
 天才にとって、千斤の努力も紙に等しい重さなのだ。だから凡人には成しがたい努力を軽々とこなしてみせる。それに対して、狂人は紙ほどの努力に千斤の重みを与えようとする。だから凡人に対してむやみにエラそうにする。
 こうしてみると、間をへだてる「紙」は、およそ破られがたいものだと感じられる。

 さて、ここでニーチェの格言(笑)

 人はまれにしか狂気を得ないが、集団とか党とか民族とか時代とかにはよくあることだ。
 (『善悪の彼岸』より)

 ニーチェが晩年発狂したことを思うと、なかなか味わい深い言葉だ。
 なんというか、まあ、地道な外交努力とかやんないで、軍隊を増やしたり核兵器を持ったりすると「かっこいい」よねえ。
 他人を信用せず凡庸なものを嘲るのも「かっこいい」ねえ。
 権力の尻馬に乗って弱者を虐げるのも「かっこいい」しねえ。
 なんかあれこれもっともらしい理屈を付けてるけど、結局「かっこいい」ことがしたいだけなんだよね。なんにも努力せずに。

 うーん、ちょっと愚痴っぽくなったんで、この辺で。

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