「ネコ殺し」という言葉をご存知だろうか。
私は昔そのように呼ばれていたことがある。といっても家業が三味線業者だったりしたわけではない。もちろん、陰惨なペット虐待の趣味があったわけでもないし、そのような話を好んだというわけでもない。
猫の大虐殺 (岩波現代文庫)
魚をほとんどかけらも残さずきれいに食べたからだ。
つまり、ネコが食べる部分が少ないので、ネコを飢え死にさせてしまうから、「ネコ殺し」と。ネコのエサと言えば残飯が普通だった時代ならあたりまえに通用したが、キャットフード全盛の現代ではそのうち意味が通じなくなるかも知れない。
こういう、ちょっとひねったもの言いは、祖母がもっとも得意とするところだった。
昔、男の子は泣くとそれだけで怒られた。「男は女々しく泣くものではない!」という価値観が、まだリアルに生き残っていたのだ。今じゃテレビでいい歳したオッサンがボロボロ泣く姿を見ることができる。「しゃいんはわるくありましぇん!」とかなんとか(もう古いか)。そういえば、石坂浩二は浅丘ルリ子と結婚する時、うれしくて式の最中に泣き出してしまったそうだ。最近離婚しちゃったけど。男が人前で泣くのは、この辺りが嚆矢となるのかも知れない。
そんな時代が来るとは露程も思わず、幼い私が泣くと祖母はよくこのように言ったものだった。
「男は一生に三度しか泣かんもんや。右目から涙を流すのはお父さんをなくした時。 左目から涙を流すのはお母さんをなくした時。両目から涙を流すのはきん○まなくした時や!」
何度か両目から流したことはあるが、幸いまだなくなってない。
食べ物を粗末にすることも、強く戒められた。
ちょっと前に「ご飯粒を落とすと眼がつぶれる」という話を書いたが、そうした戒めは米の場合に限らなかった。
私は好き嫌いの多い子供だったので、食事中に不平を鳴らすのはよくあることだった。
ぶつくさ文句を垂れていると、祖母はよくこんなふうにして叱った。
「文句があるなら尻から食え」
何度も同じことをセリフを聞かされるので、ある日ガキっぽく言い返した。
「なんで?なんで尻から食うの?」
「……文句言いながら食えるやろ」
まあ、こんな感じ。他にもあるが、それはプライベートな事情がわからないと通用しない、要するに内輪ウケのものなので割愛。
こんなふうに書くとさぞかし明るい家庭だったように思われるかも知れないが、私の父や母は冗談というものをまったく理解しない人だった。 私がおばあちゃん子になってしまったのは当然だったと言えよう。
おばあちゃん (現代の翻訳文学( 7))
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