食品偽装、というのが巷で騒がしいようだ。
しかし、食べ物などというものは、自分で育てて口にするのでない限りは、いったい何を食っているのやら食わされているのやらよくわからん、というのが本当のところだろう。
私と食品偽装の出会いは、五歳の頃にさかのぼる。
「ほれ、これ麦茶やから、飲んでみ?」
叔父がテーブルに置いたコップには、確かに麦茶とおぼしき液体が入っていた。
一口飲んで、とんでもない苦さに吹き出した。
そう、ビールだ。しかも気が抜けてぬるくなってるやつ。まったくもう。
それ以来私は酒というものがさっぱり苦手になり、目の前にあるとぐいぐい腹の中に捨て流すようになってしまった。ついでに枝豆や塩辛も苦手である。なのでどんどん噛み砕いて胃の中につめこんでしまう。
「ほら、やきそばできたよ」
仏頂面の母がでんとテーブルに置いたそれは、焼きそばに見えなかった。どう見てもそばが混じったキャベツ炒めだった。弟と顔を見合わせ、「これ、キャベツ多いよ」と抗議すると、「何を言っとんの!多いことないがね!」と母がきれまくるので、しかたなくもそもそと口にねじ込んだ。
これ以来、やきそばが嫌いになったわけではないが、積極的には口にしなくなった。ちなみに、やきそばパンというものの存在は知っているが、今まで食したことがない。
米粒を落とすと眼がつぶれる、と厳しくいわれた。
一粒落とせば片目がつぶれ、二粒落とせば両目がつぶれる、と。
さて、この偽装の恐ろしいところは、外出時に全盲の人に会った時、幼子の遠慮のないまっすぐな声で「あの人はご飯を二粒落としたの?」、と母に大声で訊いてしまったことである。
安易な偽装は、子供の社会認識をゆがめてしまうのであった。
かように食品偽装の闇は深い。
みなみなさまもゆめゆめ油断なさりませぬよう。
明るい食品偽装入門
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