イラン核協議で歴史的合意
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE9AN00M20131124
……ということで、ひとまずはやれやれ、と。決着は玉虫色だし、イスラエルはできたてのグラタンみたいに煮えたぎってるし、まだまだ予断は許しませんが、どんぱちなしに譲り合った結果はとりあえず良しとしたいものです。一番ほっとしてるのは、今まで革命防衛隊に押さえつけられていたイランの一般国民でしょう。
ま、こういうのはお定まりと言うか、自国の交渉が「弱腰」に見えちゃうのは万国共通なのか、アメリカ人はこの「合意」に対してぶつくさ言う人が多いようですね。
The literature on Iranian negotiation techniques
http://marginalrevolution.com/marginalrevolution/2013/11/the-literature-on-iranian-negotiation-techniques.html#comments
上記経済ブログのコメント欄なんですが、「イランなんぞ信用できるか〜」な人たちがいっぱい湧いてます。ダルビッシュは大丈夫なのかと心配になるくらい。アメリカ人にとってのイランは、日本人にとっての北朝鮮みたいなものなのでしょうか。そういえば日本では、「イランへの経済制裁はききめがあった。さあ次は北朝鮮だ」てな論も見受けられましたが、イランは一応民主的に大統領を選挙で選ぶ国なんで変化することができたわけで、将軍様独裁の国とは同一視できないと思うんですけどね。自分が矢面に立ったわけでもないのに、なんで「さあ次は!」とか言えるのか。読んでて恥ずかしくなるんですが。
さて、実は私、ちょっぴりだけイラン大使館で働いたことがあるのです。といっても正規職員じゃなくて「運転手」として。しかも働いたの期間はほんの少し。何やってんだって感じですが、もう二十年以上前のことだし、恥さらしを覚悟で二、三思い出話をしてみたいと思います。
まず思い出されるのがお年始。やっぱやるんですよ、これ。もちろんすっごいエラい人のとこへは、それなりにちゃんとした人が伺うんですが、関連各部署や付き合いの浅い政治家センセイのとこへは、運転手風情がお年始の品物を届けてまわるだけだったりするんです。
正月開け、ブツの入った紙袋をわんさと抱えて外務省の中をうろうろしたり、通産省(当時)でお返しの品物を無理矢理押し付けられたり(絶対受け取るなと注意されてる)、まあいろいろあったんですが、やっぱり印象深かったのは政治家センセイへのお届けですね。リストに従って回るんですが、表札にそのセンセイの名前が出てることはまずありません。金○信(あ、伏せ字になってないか)のとこは、変な半地下の薄暗いマンションで、ドアが開いて和服の女性が年始を受け取ると、挨拶もそこそこにすぐ閉められちゃいました。
あと思い出されるのが、大使館の前に坂道があるんですが、その坂を登りきったとこによく自動車が停まってるんですね。ただ停めてあるんじゃなくて、人が乗ってるのが視える。とある雪の日は、朝から晩までずーっといるんで、先輩の運転手さんに訊いてみました。
「なんなんすかね、あの車。ずっといるでしょ」
「公安だよ。コーアン」
「はあ」
「昨日アメリカから大統領来てたろ。だからだよ。お疲れさんだねえ」
なんてなこともありました。
そうそう、一応駐在武官なんて人もいて、その人が外出するたんびにわかりやすく尾行の車が着いてたもんです。あんなまるわかりでいいもんなのか。わざとわかるようにしてるのか。政治ってのはめんどくさいもんですな。
とまあ、いろいろと面白い職場ではありましたが、とっととクビになってしまいました。なんでかというと、外ナンバーのベンツぶつけたから(笑)一応大使館の敷地内だったんで、人身とかではありませんでしたが。
大使館の皆様、その節はご迷惑をおかけしました。
21世紀の知識人
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