Capital in the Twenty-First Century |
こういう勝手なことができるのがブログの醍醐味だよね。
ともかく、ピケティはこの本が評判になるにつれ、「ピケティはアカだ!」「社会主義者だ!」「かくれマルキストのピケティ!!」てなことを散々に言われている。マンキューとかにね。え、言ってない?ニュアンスってやつっスよ。
しかしまあ、こういう批判は本を書く前から予期していたらしく、マルクスについては触れこそすれど距離を置く感じで書いている。「マルキスト」というレッテル貼りに対しても「え、そんなマルクスとか、あんまり読んだことないし」と応えている。まあ、それは本当だろうな、と思う。もしマルクス主義者が同じことに気づいていたら、この三十倍はめんどくさい理論が構築されていただろうし。ベストセラーなんか夢のまた夢だ。
で、まだ最後まで読み切っていない段階でこんなことを書くのもなんだけど、ピケティは「マルキスト」というレッテルを避けるためか、わざと書いてないことがあるような気がする。
二度の大戦後、経済格差が縮まっているということについて、ピケティはただ「そうなってるよねー」みたいに流している。ともすると、戦争があったからそうなったとも読み取れそうな文脈になっている。
うーん、なんでその間、ロシアで革命があってソ連が誕生して冷戦があったことの影響について無視すんだろ。やっぱ「マルキスト」って呼ばれたくないからかな。
ソ連が崩壊するまでの間、資本主義も「修正版」になっていて、いろいろ手を尽くして下々にも財産が行き渡るようにしていたんだけどね。だって、マジで「ソ連に負けたらたいへん!」ってビビってたし。
ソ連という「悪の帝国」があったおかげで、資本主義はその本性を隠して格差を縮めるようにし、「やっぱ資本主義がいちばん!」とみんなが思えるようになったわけだ。
別にこの程度のことなら、ソ連経済を否定しつつ論ずることもできただろうに、やっぱ変な連中に揚げ足とられないようにしたんだろうな。
ピケティが言いたいのは、ソ連はなくなったけどソ連があった頃みたいにちゃんとやろうよ、てことなんじゃないかな、と今の時点では思う。
さらにここから続けて頭に浮かんだことがある。
日本の戦後の「高度経済成長」てのは、まさに修正版資本主義のお手本みたいなもので、TIME誌から「史上唯一成功した共産主義」なんて皮肉られたりした。
「一億総中流」と呼ばれるようになり、それと歩を同じくして登場して来たのが「個人主義」だ。
頭の薄い評論家センセイに言わせると、「戦後、欧米の個人主義が流入したから」だそうだけど、実はみんながそれぞれが「豊か」になったからだと思う。
日本人の自我ってのは、近代的自我じゃなくて、「高度経済成長自我」なんだよね。
日本人が「公」の精神を失い、愛国心を口にしなくなったのは、別にアメリカや日教組のせいじゃなくて、みんなが「豊か」になったからだ。
だって、国のために命を捨てる覚悟とかいう人だって、税金取られるとぶーぶー言うもんね。
命より大切なもの、それは「財産」である、という話を次回からちょっと書いてみたいと思う。
いや、そうでもないよ?
金と財産は違うから。
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以下、続いて書かれたエントリーのリンク集。
読み進むにつれて触発され、「財産」が「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする、ということについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。
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