仏文 ikko narahara photographies 1954-2000 奈良原一高 |
なので、常設展も全部ぶらぶら見て回ることにした。月の最初の日曜日は無料とのこと。正月あけのせいか、館内はすいていた。おやつ時のファミレス程度の入り具合。
おかげで再び岸田劉生『切通之写生』をじっくり、ねっとり、穴のあくほど鑑賞することが出来た。
私はこの絵が大大大大大好きなのだ。どのくらい大大大大大好きかというと、もしルパン三世になったらまっさきにこの絵を盗みたいくらいだ。いや、将来美術館に泥棒が入ってこの絵が盗まれたとして、その時私が疑われて家宅捜索を受けたなら、それはむしろ名誉なことだと受け取るだろう。
日本の洋画は、この一作によって本家を凌駕した、とすら考えているくらいだ。しかし、この絵を含む画集は持っていない。もちろん複製も持たない。そんなものを所持したくなくなるくらい、この絵はすんばらしいのである。
「王国」のカタログの中の羊 |
さらに羊 |
さて、目当ての「王国
」は、それまで無名だった奈良原一高の、実質的なデビューといえる作品群だ。
デュシャン大ガラスと 滝口修造シガー・ボックス |
「王国」の前半は「沈黙の園」という題で、トラピスト修道院を題材としている。トラピストというのは、北海道土産の定番トラピストクッキーで知られる、あのトラピストである。最近はビールも売っているそうだ。
そして後半は、「壁の中」と題された女子刑務所である。
この題材の対比について、ことさらにつまらないことを言い立てたいとは思わない。そんなものは、私の生まれる前すでにしてぐだぐだと論じられているはずだからだ。
それよりも改めて感じたのは、やはり写真と言えど「オリジナル」に触れるというのは、また格別なものがあるな、ということだ。
印刷と比べて何が違うかというと、まず端的に「黒」の柔らかさが違う。
オリジナル・プリントの黒はただ黒いだけではない。そこに塗り籠められた何かの気配があるのだ。それはうっすらとした、何ものともわからぬ凹凸や輪郭だが、それが印刷になるとすっかり消えてしまうのだ。
そしてさらに、写真集が版を重ねるならば、色あせ・版ズレなども起こってくる。Bruce Weberが自分の写真集を初版しか刷らせないのも、その辺りにワケがあるのだろう。
そんなわけで、古本屋としては、写真集こそ初版にこだわった方が良いと思うのだが、なかなかそうしたトレンドは起こらないようだ。
だいたい写真集自体が、版を重ねるほどには売れないっていうからね。やれやれ。
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