2013年10月30日水曜日

仲良きことは美しい……はずなんだけど

 幼い頃、無駄に広い家に住んでいた。床の間には掛け軸が下がり、欄間には千鳥が踊り、鴨居の上のそこここには何やらごりっぱな絵が掲げられていた。
    その中に、武者小路実篤の絵があった。例の「仲良きことは美しきかな」というアレである。四、五十年ほど前の日本の家には、ほとんどといっていいほど実篤の「仲良きこと」の絵が飾られていた。本物もあったかもしれないが、おおよそは印刷だった。幼い私が目にしたのもそうだろう。なぜそんなに広まっていたのか、それは永遠の謎である。そんな謎、誰も解き明かそうと思わないだろうから。
 そして、幼き日の私には、その絵がなんとも恐ろしいものに思えた。
 なぜ恐ろしいと感じたのか、今になってみると解る。
 ヘタだったからだ。
 ヘタなので、かぼちゃ以外の野菜は何が描いてあるのやらさっぱり判らなかったからだ。
 そこになんだか判らないものがごろんとしている。ただそれだけのことが、ただそれだけだからこそ恐ろしい。
 別な部屋には、おそらく郷土の画家である大橋翆石の作品だと思うが、虎が咆哮する大きな絵があった。が、そちらの方は怖くも何ともなかった。「あー、とらだー」と素直にわかるからだ。しかし、武者小路実篤の方は、何がどういう意図で描かれているのやら、幼い私にとってはビルに彫りつけられた定礎の文字と同じく、不可解かつ不気味なものであったのだ。

 武者小路実篤と言えば、トルストイにかぶれた平和主義者で、 「新しき村」(まだ存在する!)を造った人だ。
 しかし、太平洋戦争を境に平和主義をかなぐりすて、軍国主義に賛意を示す著作を発表していたため、戦後公職追放の憂き目に遭っている。
 当時、なんでかしらんけど、それまで戦争反対だったはずの人たちが、「アメリカと戦争する」というあり得ない状況になったとたん、くるくる手のひらを返して賛成にまわってしまった。与謝野晶子とかもそうだ。
 そして、実篤もそういう人々の中にいたのだ。
 堺利彦からすらも「空想的」と揶揄された武者小路の「空想」の部分が、「アメリカとの戦争」というあり得なさに共鳴してひっくり返ってしまったのかも知れない。
 のちに「戦犯」とされる材料となった著書は、現在ほとんど絶版になっている。古書のページをつくっているAmazonにすら登録ページがない。 まあ、全集でなら読めるんで別に不都合はないけどね。
 そうした著作の中のひとつ、『希望と回想』が手元にあるので、眼を惹かれる部分を少し引用してみよう。(仮名遣い等は修正しましたが、その他の表記は当時のママとします)

…………
 殊に白人にはいやな奴が居ることも事実だ。米英人に殊に傲慢ないやな人間が居ることは事実だ。
…………
 勿論我々の最大の敵は米英であるが、支那にはまだ我等の精神が徹底していない。又それにはそれだけの原因もあると思う。今後益々支那の人に大東亜戦争の意味を知らせ、協力しないではいられない気持ちにさせることが必要である。
…………
 日本には三馬鹿という言葉があるが、己の力を知らず、相手の力を知らず、大いに得意になって、自国に致命傷を与えるために競争をしたルーズヴェルト、チャーチル、蒋介石は三馬鹿の名を恥ずかしめない。
 それに反して日本は今度こそ仮面を脱ぎ捨て正体をあらわした。猫かと思ったら虎だった。蛇だと思ったら龍だった。賢い人間がうんと居た。今に見ろである。大いに愉快である。
…………
 亜細亜の神、東亜の神が、合議されて、日本はもう実力ができたから、この際日本に立ち上がってもらいたいと、日本の神にたのんで来られ、そして日本の神がそれを承知されて、日本が立ち上がらねばならぬように導かれたと思われるほど、我等の上に天佑があるのである。
…………

 などなど。こうして書き写していていると恥ずかしくなってくるが、当時の日本の「気分」というものがよく現れていると思う。しかしまあ、全然「仲良きこと」が伝わってこない文章だね、こりゃ。

 戦後とて振り返ってみれば、近々バブルの時だって「二十一世紀は日本の世紀になる!」とか浮かれてたもんだった。こういう浮かれ囃子に酔うのはよくあることだが、実篤のような「本来なら反対の立場にあるべき人」が浮かれ出したら、その時こそは気をつけた方がいい、ということである。そういう時は、だいたい禄でもないことになる。バブルの最盛期なんか、朝日ジャーナルにすらバブルを肯定するかのような記事が載ったりしたからね。まったく。

 武者小路実篤は九十歳でなくなるまで、例の野菜の絵を五万枚以上描いたという。なので、もし絵がオリジナルだったとしてもあまり高値にはならない。
 武者小路実篤は調布市に何年か住んでいたことがあるらしく、 旧住所の近く(仙川とつつじヶ丘の間)に記念館が立っている。

武者小路実篤全集〈第11巻〉

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