2013年10月17日木曜日

『天国の門』をくぐると現れるほんたうのほんたうの亜米利加

ダニエル・カール

    ダニエル・カールという、「山形弁をあやつる変な外人」てな立ち位置でタレントをしている人がいる。3.11のとき原発破損で沸き立つ海外メディアに対して、落ち着くようにとのメッセージをYouTubeで流していた。周囲の状況を理知的に見つめる眼を持った人だ。
 それよりもずっと昔のことになるが、彼の発言でずいぶん印象に残ることがあった。『噂の!東京マガジン』という番組でのことだったが、確か大竹まことが「やっぱ俺たち、アメリカっていうとニューヨークとかロスとかが……」と、なんということもない発言をした時、それをさえぎるようにしてダニエル・カールがやや興奮気味に声を挙げた。
「ちがうよ!!ニューヨークとか、ロサンゼルスとか、あんなところはアメリカじゃないよ!!!」
 色をなすカールに出演者はみなぎょっとしたが、司会者がすぐに別な話に移してその件はそこまでとなった。
 じゃあ、ダニエル・カールの知る本当の「アメリカ」とは、いったいどこにあるのだろう?

『天国の門』という「伝説の」映画がある。
 どこらへんが「伝説」なのか、簡単に説明すると、『ディア・ハンター』という「ベトコンはロシアン・ルーレットがお好き」な感じの映画でアカデミー賞を受けたマイケル・チミノなる映画監督が、この『天国の門』に超々多額の制作費をかけたのにぽしゃってしまい、映画会社は倒産しチミノはハリウッドを追放された——という「伝説」である。映画一本あたりの損失が史上最高であるとして、一時期はギネスに載っていたくらいだ。(今は別な映画になってる)その後チミノは『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』で復活するが、それはまた別な話。

 YouTubeの予告編をアップしてみたけど、これじゃただの勧善懲悪ラブ・ストーリーみたいだ。「夢の終わりにただひとつの愛を」とか意味不明。
(以下ネタバレが含まれます)



 舞台はアメリカのワイオミング州。一八九〇年だから南北戦争はとっくに終ってる。ワイオミング州は準州から正式に四十四番目の州になったばかりだ。映画とは別な話だけど、ワイオミング州はアメリカで初めて女性に投票権を与えた州でもある。
 州にはユニオン・パシフィック鉄道が路線をのばし、新しい移民がどんどん流入している。移民たちは主に東欧から入ってきて、二束三文の荒地を有り金はたいて買わされるハメになる。戦後まで生きていたホームステッド法の悪用である。移民たちはその荒地を懸命に耕して生きていくしかない。彼らは貧しさのあまり、牧場から牛を盗む。牧場主たちはそれに対抗するため、五十人のガンマンを雇い、移民たちのうちからめぼしい一二五人をリストアップして、ガンマンに「掃除」させることにした……
 なんかむちゃくちゃな話だが、これは実際に起きたジョンソン郡戦争が下敷きになっている。クリストファー・ウォーケンが演じたネイト・チャンピオンも実在した人物であり、最期に残した手紙の内容もほぼそのままだ。そしてこの戦争は「最後の西部内戦」として記憶される。

"The Invaders" of The Johnson County Cattle War
   見ていて分かるのは、この映画のアメリカには「豊かさ」がない、ということだ。
 単に物質的な豊かさだけではない。精神的にも豊かではなく、主人公のハーバード卒の資産家ですら、勇敢ではあるが度量の狭い人物として描かれている。そのためか、ハリウッド映画につきものの「アメリカン・ジョーク」がさっぱり出てこない。(一人だけ、へにょへにょの脇役がそれらしきヘタクソなジョークを口にするだけ)
 普通、映画に出てくるアメリカ人というのは、どんなにピンチでもどこかに余裕を残している。そして、いつでも精神的なゆとりを失わないのが真のアメリカ人なのだ、というメッセージをそれとなく放射しつづけている。
 ところがこの映画のアメリカ人たちは、まったく余裕もゆとりもない。つねにいっぱいいっぱいで、滅多に笑うことすらしない。悪役の、政府の中央にまで顔の利く牧場主でさえそうなのだ。

「唯一無二の」「最高の」「豊かな」アメリカはここにはない。
 突きつけられるのは、アメリカの「貧しさ」ばかりだ。
 そりゃあ、この映画がぽしゃるわけだ。「豊かさ」にアイデンティティを持つアメリカ人なら、だれ一人見たがりはしないだろう。
 そういう意味でこの映画の存在は、ひとつの奇跡と言える。

 さて、ダニエル・カールの考えるアメリカが、この映画と同質のものかどうかは分からない。ただ、ニューヨークやロサンゼルスを拒絶することは、アメリカの「豊かさ」はその真の姿とは言えない、ということではないだろうか。彼はドイツ系移民の子孫になるそうだが、日本ではあまりピンとこないけれど、アメリカにおいてドイツ系は「二級白人」の扱いを受けたそうだ。それも、ずいぶん昔、二次大戦よりずっと前から。作家のカート・ヴォネガットもドイツ系だが、最初のアングロサクソン系の奥さんと結婚する時、奥さんは「本気であいつらの家族になるつもりなのか?」と親戚から「忠告」されたそうだ。
 今はもうそんなことはないと思うが、ダニエル・カールがその残り香をかぐ機会はあったかもしれない。
 この映画を監督したマイケル・チミノはニューヨーク生まれだが、イタリア系である。イタリア系の扱われ方については、ご存知の方も多いだろう。
 最後にメモしておくと、『天国の門』には黒人も、いわゆる西部劇の”インディアン”も、いっさい出て来ない。

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 それからまったく余計なことかもしれないが、ラスト・シーンで横たわる女性は主人公の昔からの愛人であり、撃たれて死んだ恋人が実は生きていた、とかではない。説明的なセリフがないため勘違いされやすいようなので、一応。


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