2013年10月23日水曜日

飯島耕一が死んだと聞いたとたん『笑っていいとも』が終ったことにしみじみしてしまった

飯島耕一・詩と散文1

    飯島耕一が死んだ。若い頃に読んだ詩人の死というものは、不思議と胸にこたえる。前首相などが死ぬよりもずっと心が痛む。

詩人の飯島耕一さん死去
http://www.asahi.com/articles/TKY201310220489.html

 出世作『ゴヤのファースト・ネームは』から、「疑問」という詩を一部引用してみたい。


…………
どうして人は
四角い箱の内部にいて
(息などひそめて)
じっと 外を眺めているのだろう
どうして 外というものが
あるのだろう。

去年 きみは一年も
戸を閉めきって 内にこもり
外のすべてを拒否しようとした。
外のすべてに拒否された。
テレビもこわく
新聞もこわかった。
ことばはすべてこわかった。
…………

 今は二十一世紀なので、インターネットというものが外の存在を忘れさせてくれる。
 むしろ、 テレビのタレントたちが「四角い箱の内部にいて/(息などひそめて)/じっと 外を眺めている」
 いつの間にかホオズキのようにぐるりと裏返った世界の中で、むしろテレビたちの方がなにかを恐れ、息苦しそうにしている。
 そんな中、「笑っていいとも」が終了するという。

 「笑っていいとも!」3月で終了
http://www.asahi.com/articles/TKY201310220092.html

 
 終ることについて、自分でも驚くほど感慨がない。むしろ「ああ、やっと終るのか」とほっとしている。あとは「サザエさん」と「徹子の部屋」と「新婚さんいらっしゃい」だな、と指を折る。そんな感じ。

 終る理由についてあれこれとかまびすしいようだが、きっとタモリがおんもに出たくなったのだろう。いつの間にかテレビが「内側」にひっくり返ってることに気づいて。




飯島耕一・詩と散文〈3〉ゴヤのファースト・ネームは 

R.I.P.

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