小学校には「どうとく」の時間があった。
それを漢字で「道徳」と書くと知るのは、二年後のことになる。
なんか知らん、つまんないテキストでつまんない話をきかせられ、その話についてどう思うかを「先生が決めて」、賛成する子が手を挙げておしまいとか、まあそんな感じで授業は進められていた。
学校での思い出というものをほとんど持ってはいないのだが、「どうとく」の時間がなぜ世にもつまらないものに思えるようになったのか、というきっかけについてだけは記憶に残っている。
それは、「どうとく」の教科書に載った短くて簡単な話で、どんな内容だったかというと、たろうくんとはなこさん、じゃんくて別な名前だったと思うが、確か男の子と女の子がそれぞれお小遣いをもらって、祭の縁日に行くという話だった。
はなこさんじゃなかったと思う女の子は、お小遣いをちょっぴりだけ使ってほとんど貯金しました。
たろうくんじゃなかったと思う男の子は、お小遣いをぜーんぶ使ってしまいました。
さて、どっちがいい子でしょうか?
もちろん、はなこさんじゃなかったと思う女の子の方がいい子だ、ということになっている。先生もそのような調子で語ったあと、生徒たちに向かってこう問いかけた。
「はなこさん(じゃなかったと思うけど)がいい子だと思う人は手を挙げてー」
みんなが一斉に手を挙げた。男の子も女の子も、成績のいい子も悪い子も、スポーツのできる子もクラスの嫌われ者も、みんなまっすぐに手を挙げた。
ただし、私を除いて。
そんなクソガキの振る舞いを、やさしい先生が見逃すはずがなかった。
「君は、はなこさん(いいかげんくどい)より、たろうくん(ちがうから)のほうがいい子だと思うの?」
「はい」
「どうして?」
「だって、縁日で働いてる人は、たろうくん(もういいか)がお金を使った分儲かったでしょ?そうでないと、店を出してる人は暮らせなくなるじゃん」
そのあとの先生とのやり取りは、青森県人と鹿児島県人の会話のように噛み合ず、なぜだか私がバカでまぬけでアホで将来ろくなもんにならないということになって円く収まったわけだ。
さて、ここで言いたいのは、幼くして尾崎豊のような反骨精神にあふれていたというようなカスみたいな自慢じゃなくて、消費の美徳について世間の常識がずれていることを言いたいわけでもなくて、ガキの頃からこんなんじゃ将来古本屋くらいにしかなれないとか、そういうしょうもないことでもなくて、「どうとく」なんてものは授業で教えるようなモンじゃねーだろ、ということだ。
で、最近、割烹着のねーちゃんの騒動のおかげで、こういう動きが出て来た。
研究者・学生に倫理教育 文科省が義務化、STAP問題受け
…………あのな。
そんな「トイレのドアはちゃんと閉めましょう」みたいなこと言ったって、トイレの臭いが消えてなくなるわけじゃないんだよ?
「科学」というものが抱える根本的な問題について、さんざっぱら揶揄してきたわけだが、こんな心臓疾患にオロナインを塗るみたいなことでお茶にするんじゃねえよ。
倫理とやら問題だと思うんなら、フクシマが汚染水だだ漏らしてるってのに再稼動とかぬかしてるやつの倫理観からどうにかしろや。
0 件のコメント:
コメントを投稿