要するに、なんであんなことをしでかしたのか、ということを手短に語っているわけだが、ぶっちゃけ「ついカッとなってやった。幕府にはわかって欲しい」という、なんじゃこりゃな内容。ずいぶん長いことカッとしてたんだなー、というか、サムライってのは元々こういう考えで生きてたんだなー、というのが生々しくわかるシロモノだ。以下意訳。
浅野内匠頭家来口上書 |
とまあ、だいたいこんな感じ。テロリストの犯行声明って、全然スジが通らないのは昔っからなんだなー、と変な感心をさせられる。
しかしこの事件が起こったこと、そしてこれが芝居となり、日本中津々浦々で定番の演目とし興行されたことで、江戸幕府の寿命は倍に伸びたのだった。
まず押さえておきたいのは、サムライってのは元々「国家」の「統治」を象徴するものには向かないものだ、ということだ。だから鎌倉幕府の将軍は、源氏三代の後は朝廷から宮将軍を迎えた。室町幕府も、三代目の義満以降はぐだぐだ。
赤穂浪士が討ち入りした元禄時代だって、綱吉が将軍になる前は直系が途絶えたのをいいことに、宮将軍をまた迎えようという意見が幕府では主流だった。それをひっくり返したのが堀田正俊 なんだけど、この人は後に江戸城内で刺されて死んだ。殿中の刃傷沙汰ってのは、別に浅野が始めてってわけでもなかったのだ。
そしてこの元禄時代ってのは、紀国屋文左衛門にも象徴されるように、商人がとんでもなく力を持った時代でもあった。
…………
金にて諸事の物を買い調えねば一日も暮らされぬ事ゆえ、商人なくては武家はたたぬ也。
…………
と、荻生徂徠は『政談』に書いている。商人は豊かになるが、サムライはどんどん貧しくなっていった。
そして、無理矢理な辻褄合わせとともに、芝居となって庶民が楽しむものとなった。それはどのような状況を生み出したか。
この芝居、『忠臣蔵』の中のサムライは、主君に忠実である。主君がとんでもないことをしでかしたなら、そのとんでもないことに殉じて暴力(テロル)を振るう。世を騒がせようが幕府に反しようが、そんなことはおかまいなしだ。そして全員腹を切らされる。それでこそサムライ。あっぱれあっぱれ。
そして芝居小屋から出ると、そのサムライは現実にそこらをうろうろしていて、考えてみれば赤穂浪士を切腹させた幕府だってサムライがこしらえたもんだ。だからサムライってのは……あれ?なんだっけ?
主君の仇討ちをするのがサムライで、仇討ちはお上のやり方へ命懸けでするもので、命懸けだからサムライは腹を切って、腹を切らせた幕府だってサムライがこしらえたものであるのだから、幕府に命懸けでお仕えするのもまたサムライで、……おや?
とまあこんな具合に、『忠臣蔵』という、あまりにも単純であるが故に世の中に置くと矛盾が顕になり、そんな矛盾で満ちた物語は、サムライたちの根源である暴力(テロル)に対する思考を停止させる、いわば「装置」として働いたのだ。
思考を停止させることは、サムライの暴力(テロル)を源とする矛盾をそのまま受け容れることとなり、それは身分制度にとってすっごく都合が良いいものとなった。
ここでもし、赤穂浪士が切腹せずに御家再興かなってハッピーエンドになったり、ただの罪人として打ち首になっていたりしたら、この「装置」は完成にはいたらなかっただろう。
それを狙っていたのかどうかわからないが、荻生徂徠が「切腹」を主張したことは、逆説的に幕府にとって「正しい」ものであったわけだ。
しかし、そうした延命はやがて己に返る。
幕末の志士たちの行動原理は『忠臣蔵』に沿っており、桜田門外の変の際も、季節外れの雪を「忠臣蔵のようだ」と喜んでいる。
暴力(テロル)への思考停止装置は、幕府が倒れた後もその機能を失わず、現在に至っては「権力」への思考停止を働きかける「装置」となって……いるかもしれないし、いないかもしれない。もう若い人は『忠臣蔵』なんか見ないもんねえ。
0 件のコメント:
コメントを投稿