とにかくこの事件は、日本女性の下着史を語るうえで欠かせないもので、この悲劇がきっかけでこれまでの腰巻きから、ズロース(今で言うパンツ)に変わっていった、ということになっている。
一九三二年十二月十六日午前九時十五分、白木屋百貨店四階玩具売り場で火災発生。後に火元はクリスマス・ツリーの豆電球と確認される。火はセルロイドのおもちゃに燃え移り、たちまちに広がった。
ちょっと話がズレるけど、日本でクリスマスを祝う習慣は明治の頃すでに始まっており、昭和のこの時期にはすっかり定着していた。おまけに大正天皇の命日ってことで、十二月二五日がお休みになっていたこともあり、ハイソな階級は天皇の命日に「メリークリスマス!」とやっていたそうな。この火事の前年、満州事変が起きて中国ではどんどんえらいこっちゃになってたけど、まだ銃後ではクリスマスを祝う余裕があったんだね。ちなみにこの時期、日本は金解禁でもってデフレに沈んでいる。東北は飢饉に見舞われ(豊作なのに飢饉という異常事態もあった)、東京行きの夜行列車は売られていく娘たちでいっぱいだった、てな証言もある。
さて話戻って、この火災での死者は十四人、うち八名が女性である。
火災から数日して、白木屋専務山田忍三は東京朝日の求めに応じ、短い談話を発表し、それは十二月二三日付けの朝日家庭欄に掲載された。
…………
女店員が折角ツナを或はトイを伝わって降りて来ても、五階、四階と降りてきて、二、三階のところまでくると、下には見物人が沢山雲集して上を見上げて騒いでいる、若い女の子ととて裾の乱れているのが気になって、片手でロープにすがりながら片手で裾をおさえたりするために、手がゆるんで墜落をしてしまったというような悲惨事があります……
…………
これを受けて都新聞が「ズロースをはいていなかったが故の悲劇!女性の皆さんはズロースをはきましょう!」という内容の記事を書いた。
日本の女性がズロース、すなわちパンツをはくようになったのはここから、といわれている。
がしかし、上掲書籍の井上章一『パンツが見える。』によれば、そのような羞恥心が命取りとなった事例はなかった、とのことである。ただ、怪我をするくらいのことはあったかもしれない、と。
惨禍の拡大について、やや責任逃れな作り話をした専務により、まことしやかに広がっていったものらしい。
この話、私が最初に目にしたときはずいぶん大仰に作り替えられていた。綱を使って降りれば助かったのに、大和撫子たちは局部を人前にさらすのを潔しとせず、次々と紅蓮の炎に巻き込まれていったのでありました、とかなんとか。もう、パンツの起原以前に、日本の女性は貞操堅固でエラいぞ!みたいな美談になっていた。
なんというか、こういう「おはなし」が形成されやすい空気、というものが、この時代にはあったのかもしれない。
天皇陛下万歳―爆弾三勇士序説 (ちくま文庫) |
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