サンタの存在を疑っていたとかではなく、絵本に出て来るサンタが袋から取り出すおもちゃが、どれもこれもつまらないものにしか見えなかった、というのが大きい。子供が外部の世界をどの辺まで信じるか、というラインは意外なところまでぐるっと遠回りしていたりする。
こうして思い出してみると、我ながらろくでもないガキだったなあ、と思う。
十二月二五日という日は、ニュートンが生まれたり(ユリウス暦)乃木希典が生まれたり大正天皇が死んだりチャウシェスクが死刑になったり、塀から落ちたハンプティ・ダンプティを助けようとかけずり回ったゴルバチョフの努力も虚しく、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊したりした日だ。
けっこういろいろと起こっているが、サンタを待ちわびる子供たちにとっては、そんなことは全く重要ではない。
それよりずっと大事なのは、「サンタは煙突から入って来るのに、うちには煙突がない!」ということだ。
サンタは果たして、雨戸が閉められ、格子戸には心張り棒がかけられ、完璧に戸締まりされた家に、どのようにして侵入するのか。
クリスマスが何なのか知らない祖母は、こう答えたものだった。
「そらあ、まあ、縁の下から来よるんやろなあ」
なんか違う。
私と違って、クラスの同級生たちは、サンタに手紙を書いていた。
時折帰り道がいっしょになるそぶえ君は、サンタへの手紙にこう書いたと見せてくれた。
「さんたさんえ どらえもんいっこください」
まあ、こんな程度なら可愛いものだ。
一時期呑み友達だった男は、幼稚園で書かされたサンタへの手紙に、「せかいせいふく」と書いて親を呼び出されたと言っていた。ちなみに、七夕の短冊にも懲りずに「せかいせいふくできますように」と書いたそうだ。おとなになった彼は当時、サウナのボイラーマンをしていた。
まったく子供は正直で、その欲望は神をも恐れずまっすぐである。
「前略 サンタクロース様
初めてお手紙を差し上げます。
クリスマスも終り、ようやく一息ついているところへ、不躾なことをして申し訳ありません。
どうか来年のクリスマスこそは、子供たちではなく、子供たちにあなたのフリをしてプレゼントを届ける親たちの方へ、ある贈物をして欲しいのです。
どのようなことがあろうとも失われることのない、『落ち着いてゆっくり考える』というやつを」
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