2014年12月4日木曜日

忠臣蔵って……なんなんだったんだっけ……


「徂徠学ニテ世間一変ス」(湯浅常山『文会雑記』)



 赤穂浪士の切腹を主張した荻生徂徠だが、その後それについてやかましい非難は浴びなかったようだ。江戸時代を通じて、吉良と関係するもの、また浪士に冷たく当たったものが、ずいぶんと肩身の狭い思いをしたのに比べ、なんとも不釣り合いな話である。それだけ徂徠の学問が世間で重く見られていた、ということが察せられる。

なんじゃこりゃ…
    徂徠学の主な特徴は朱子学の否定にある。徹底して六経と論語を読み込むことで、本場中国の最新思想を根本から批判してみせたのだ。
 儒教ってのは、個人的道徳と政治的哲学がごっちゃになってるとこがあって、それによって後々、個々人の心の問題が直に政治に直に関わってくる、かのように語られてきた。徂徠はそれを分離し、改めて「聖人の道」を唱え、経世済民の立場から儒教をとらえ直した。
「経世済民」ってのは「世を経(おさ)め、民を済(すく)う」という意味で、今は「経済」と縮まってeconomyの訳語になっている。元は中国の古典、というか古くからある言い回しらしい。
 そのためには「安民」、すなわち民を安んずることが必要であり、儒教はそのための教えである、とした。儒教においての中心概念である「仁」もまた、それにそって解釈が変えられた。
 おそらく高校の漢文の時間なんかでは、「仁」を「思いやりの心」みたく教えているんだろうけど、徂徠の唱える「仁」とは、あくまで「政治意識」のことだ。それは為政者ならばきっと持つべきもので、
…………
人君たる人は、たとひ道理にははづれ人に笑わるべき事也共、民を安んずべき事ならば、いかやうの事にても行んと思ふ程に、心のはまるを真実の民の父母とは云なり(注:漢字は新字にしました)
…………
 という具合に、たとえ人から笑われようとも、安民のためなら実行するのが「仁」である、とした。丸山眞男は、この辺をマキャヴェリ と比較している。
 しかし太田錦城という儒学者は、このような「仁」に対して異を唱えた。
 それが政治的安定のみを目指すなら、「仁」は一部の為政者のみに求められるものとなり、社会を堕落させ腐敗させることになる。
 しかしてまた、それを大衆が目指すべき徳目として立てるなら、
…………
民の仁に興起して起こつて行ふ処は、謀叛叛逆して国都を横領して、始めて長人安民の行を成就すべし(注:漢字は新字にしました)
…………
 ということとなり、下克上の世に戻ってしまう、と太田錦城は批判する。
 これって、徂徠学がもう一歩進んだなら、所謂「革命思想」になるってことだよねえ。「こんな思想が流行ったら、人民革命が起こっちまうぞ」てわけだ。
 実際西周(にし・あまね)なんかは、幕末にヨーロッパへ留学して啓蒙思想に触れた時、「これは徂徠学を推し進めたようなものだな」として理解している。

 そして「聖人」とは「先王」であり、伝説の聖王堯舜のことをいう。徂徠はこれを絶対のものとし、後世の人間はどれほど学んでもたどり着けない、とする。
 で、堯と舜のどこがエラいのか。
 まあ、何事によらず無欲だったということだが、中でも特筆されるのが、王位を「禅譲」した、ということである。
 要するにこれ、「世襲」の否定なのだ。
 後世において、「禅譲」は王権簒奪の言い訳として悪用されるばかりになる。それは古い世襲から新たな世襲へとのバトンタッチでしかなく、聖王による本来の「禅譲」ではないとされる。
 つまり、世襲の否定を理想とすべきでありつつ、現実には誰も聖王とはなれないのでそれはかなわず、せめて聖王の示した「道」(もちろん道教のものとは別)を目指して「徳」を積むべきだ、というのが徂徠の言う儒教本来の姿というわけである。

 なんというか、けっこうギリギリのところまで迫っている。何のギリギリかというと、まあとにかくギリギリなのだ。
 理想としての世襲の否定のどこがすごいかというと、割と見過ごされがちなことだけど、それは財産の所有の否定につながる、ということだ。
 さらには、それを根源とする暴力の否定ともなる。
 徂徠が儒学者として赤穂浪士を批判したのは、当然のことだったのだ。賞賛した室鳩巣なんかは、学者として半端だったってだけやね。



荻生徂徠全集 第4巻 経学 2

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