写真というものが登場した時、それはただ「写しとる」だけのものであって、文化に対してはそれほど大きな影響はない、と思われていた。というか、「あっちゃ困る」って思われてた、って方が正しいかな。
ただそこにあるものをそのまま写す、ということがどれほど人の心を動かすのか、芸術家たちはなかなかそれを認めず、それでいて自分がそこに引き寄せられていくのを止めることができなかった。
プルーストもご他聞に漏れず、写真に対しては冷淡なポーズをとっていた。
S.ソンタグ『写真論』 |
…プルーストが写真を口にするときはいつでも蔑んでのことで、それは過去との浅薄で、あまりに視覚一点張りの、たんなる意志による関係の同義語である。
…………
とスーザン・ソンタグは『写真論』で述べている。
しかし、文章中では写真に対して斜に構えていはいたけど、プルーストは自分の肖像写真を撮るのは大好きだった。ブルジョアのぼんぼんでナルシストってのは、しょうがないもんだね。今生きてたら、スマホの待ち受に自撮り写真載っけて、それを毎日取り替えていたことだろう。
写真については『失われた時を求めて』でもふれられてはいるけど、それは仮想のものにすぎない的な扱いをされている。バーチャル・リアリティーってやつ?話ずれるけど、日本語として使われるバーチャルと、英語のvirtualって意味が真逆になってるよね。
それはともかく、プルーストの写真への密かで無意識な「愛」は、発表された文章ではなくて、もっと別な部分に現れているように思う。
フェルメールという、一枚か二枚絵が日本に来るだけで大行列ができる画家がいる。この人の作品は三十枚ちょっとしか残ってないんだけど、なんでそうなったかというと百年以上忘れられてたからだ。
十九世紀に入って再評価されたわけだが、その再評価で重要な役割を果たしたのが、マルセル・プルーストその人なのだ。『失われた時を求めて』の中でもその作品について触れ、ベルゴットの死についてのシーンで、当時はぜんぜん知られてなかった『デルフトの眺望』について印象的に取り上げている。
フェルメール「デルフト眺望』 |
フェルメールの作品の魅力はいろいろと語られているけど、やはり主だったところは「光線」の扱いが斬新だった、ということにあると思う。
これは否定する人も多いんだけど、フェルメールの光線の扱い方は、当時の最新テクノロジーだった、カメラ・オブスクラからきているのではないか、という話がある。カメラ・オブスクラってのは、写真機の原型みたいなやつで、針穴カメラで風景を見て楽しむって感じのシロモノ。そこに映し出される画像を参考にして、フェルメールは絵を描いたのではないか、という論に妙な説得力があるのは、写真を見慣れた現代人が、フェルメールの絵にどこか同時代的なものを感じるからだ。
十七世紀の人々にとっては、ただちょっと物珍しいだけだった光の扱い方が、百年の時を経て、写真が社会に認知されるとともに、どこか「懐かしい」ものとして再認識されるにいたった。
プルーストがそれを「発見」したということは、口では写真のことをぐだぐだ蔑みつつも、じつは写真に対してひとかたならぬ魅力を感じていた、ということではないだろうか。そうでなくては、フェルメールを見出すことなどかなわなかったことだろう。えーっと、こういうのなんていうんだっけ。ツンデレ?
と、ここで明日に続きます。すんません。
ブラッサイ、プルースト/写真
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