ここ二年ほどずっと、選挙の度に憂鬱な思いをさせられる。
今日は、以前本宅で書いたエントリーの再録。
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タイムクエイク |
『タイムクエイク』は、現代アメリカを代表するSF作家、カート・ヴォネガットの最後の小説にして『渾身の失敗作』である。
この小説の中で起こる「タイムクエイク「というのは、「時間軸で地震が起きること」で、単行本で出たときは、'60年代のSFみたいに『時震』なんて高校生でも思いつくまぬけな副題がついていた。
時間軸で「時震」が、タイムクエイクが起きるとどうなるか?
人々は未来の記憶を持ったまま過去に吹っ飛ばされる。
しかし、そこで自由になることは一切なく、これから何が起こるかわかっていながら、どうしようもなく歴史を繰り返すのだ。
あの時、テストに名前を書き忘れなければ……
あの時、おなかが痛くならなければ……
あの時、スーソ(麻雀の)を切ったりしなければ……
あの時、あの時、あの時……
なかったことにして幸せに暮らしていたのに、もう一度自分の馬鹿さ加減を思い知らされる、これはとんでもなくイヤな災害だ。
いいことがあった人だって、それを繰返してみると、自分のお人好しぶりに腹が立ったりするものだし。
かくして、タイムクエイクに見舞われた人々は、このような認識にいたる。
「人生はクソの山だ」
実際、もし本当にタイムクエイクに見舞われたら、どんな気持ちになるだろう?
次々とやらかす「経験済み」のまぬけっぷりを、「避けようもなく」繰返すのだ。
それはもはや、「笑うしかない」だろう。
小説の中では2001年二月十三日にタイムクエイクが起きたことになっている。おしい、9.11まであと半年とちょっとだ。小説が書かれたのは1997年。小説中で、世界は1991年二月十七日まで吹っ飛ばされている。
いったい何が彼にこの小説を書かせたのか。神か悪魔のどちらかだろう。
これは恐るべき予言の書にもなっている。
なぜなら、2001年にブッシュ・ジュニアが大統領になったからだ。
これからどんな間抜けな事態が起こるか、すでに「経験済み」であるにもかかわらず、それは「避けようがなく」、どうにもならずに人々は「笑うしか」なかった。
歴史というやつは、ときおりこうしたタイムクエイクを起こすらしい。
「歴史は繰り返す。一度めは悲劇として、二度目は喜劇として」とマルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』に書き付けたときも、タイムクエイクは起きていたかも知れない。ルイ・ボナパルトのまぬけ面は、今見ても「笑うしかない」
さて、3.11の余震として、タイムクエイクが起きたのではないだろうか。
これからどんなことが起ころうと、それはすでに「経験済み」で、それでいて「避けようがなく」、もはや「笑うしかない」だろう。
でも、タイムクエイクはいつか終る。
その時はキルゴア・トラウト(カート・ヴォネガットの分身のSF作家)が背中をどやしてくれるはずだ。
「目を覚ませ!後生だからfor God's sake目を覚ませ!自由意志!自由意志!」
ルイ・ボナパルトのブリュメール18日―初版 (平凡社ライブラリー) |
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自由意志! と叫ぶ声はまだ聞こえてこない。
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