2017年9月18日月曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…は「時間」について自分でよく解らないぶんまで誰かに判って欲しかったらしい編】

存在と時間 3 
(古典新訳文庫)
 さて、いよいよ「時間」である。

2017年8月13日日曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…は「時間」について判って欲しかったらしいんだけど編】

ハイデッガー 
ツォリコーン・ゼミナール
    てなわけで、いきなりテーブル投げというか、「こないだ偉そうに言い垂れたことは、あれナシね。ノーカンノーカン!」と始まったばかりのゼミナールで「必殺ちゃぶ台返し」を披露したハイデガーなわけだが、一応ご当人にもそれなりの思惑があったりはしたようだ。

2017年3月9日木曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の「気づかい」ってのは何なんだろうの続き編】

   世の中には臨死体験と呼ばれるものがあるそうだ。生きているうちに「死を想う(メメント・モリ)」のではなく、実際に死にかけて死の淵にあるときに経験すること、それを「臨死体験」と呼ぶのだそうだ。その時、人は自分の人生を丸ごと回想したりするという。そんなことになったら恥ずかしくて悶え苦しみそうだが、死ぬ間際ともなればどうでもよくなるのだろう。
 さらに上級者になると、なにやら川やら花畑やらがでてきて、その向こうに親しくしていた故人が手招きしてたり、来るな来るなしっしっとしてたり、楽しそうに遊んでいたりすると聞く。故人が取っ組み合いの喧嘩をしていたとか、白目をむいてちあきなおみのマネをするコロッケをマネていたとかは聞かない。あったらいいと思うが。
 そうした「体験」が死後の世界の存在を証明しているかはさておき、ここでわかるのは死の間際において、人生のあれこれはすべて「なつかしい」ものとなる、ということだ。彼岸に待ち受ける人たちもすべて「なつかしい」人たちばかりだ。
 そうしたことと同じようなことを、ハイデガーに語らせると以下のようになる。

2017年2月20日月曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の「気づかい」ってのは何なんだろう編】

 誰もがそれを経験しているのに、それを直に表す単語がなくて、「あるよねー」「うん、あるある!」と『100人に聞きました』(古)状態になってしまう、そんな経験があると思う。うん、あるある。

2017年2月18日土曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の現存在について述べつつ世界・内・存在や実存についても開示していくよの続きの続き編】


…………………
不死なるものが死すべきものであり、死すべきものが不死なるものである。かのものの死をこのものが生き、かのものの生をこのものが死している。
…………………

2017年2月10日金曜日

2017年1月21日土曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の現存在について述べつつ世界・内・存在や実存についても開示していくよ編】

『存在と時間』
旧訳
 初めて『存在と時間』を読んだのは大学時代だったから、もう三十年も前のことだ。岩波文庫の上中下三冊で、おそろしく読みづらいシロモノだった。ブルドッグのいびきのような音を口から漏らしつつ、タールの海を渡るような心地で読み進めていったのだが、最後まで読んでどうしても納得のいかないことが一つ残った。
 それが「現存在」というやつである。現存在は「人間」のことで、存在を規定する特別な存在だというのだ。え?存在って、人間を特別扱いすることで規定されるのか? なら、人間という「存在」はいったい誰が規定すんの?

2017年1月20日金曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の現存在について他人のふんどしで書いてみる編】

 ちょっとここで、他の人たち言を引きつつ、他人のふんどしでもってハイデガーについて語ってみたい。

本来性という隠語―
ドイツ的なイデオロギー
について 
(ポイエーシス叢書 (11))
……………………
《現存在》が《存在的》「である」とか《存在論的》「である」ということは厳密には、そもそも判断不可能なのである。というのも現存在》ということで思念されているものは、或る一つの基体であり、その限りで《現存在》という概念の持つ意味は、非概念的なあるものだからである。
……………………
「アウシュヴィッツ以降、詩を書くことは野蛮だ」としたテオドール・W・アドルノによるハイデガー批判である。アドルノはハイデガーが「本来的」と「非本来的」に存在を区別することについて、そこにファシズムとの親和性を見出している。
 ここでは「現存在」を、存在でもその概念でもないと指摘している。

2017年1月19日木曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の解釈についての先駆者について編】

    一連のハイデガーについてのエントリーは、ナチスとハイデガーが根本で一致するということの暴露を目的としている。
 それには、ハーバーマスですら「この作品の実質的内容が信頼に足りえないという考えは、誤っている」と評価した『存在と時間』について、誰が見ても明らかなくらいにわかりやすく「開示」することが必要だとも考えている。

2017年1月13日金曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の「現存在」の正体について編】

世界の大思想〈第28巻〉
ハイデッガー 有と時(1967年)
「現存在」という単語は、日本では日常で使用されることはない。一応哲学用語のような扱いを受けているわけだが、ドイツ語では普通に日常でも使用される。といっても、「現存在Dasein(ヘーゲルが使用すると「実有」とか「定有」と訳されたりする)」がそのまま使われるのではなく、「現da」+「存在sein」という感じで、Es ist miemand da.(今誰もおらんよ)のようにばらけていたりする。あ、istってのはseinの三人称単数ってやつね。
有と時 (ハイデッガー全集)
   こういうのは別に珍しいことじゃなくて、弁証法の止揚aufhebenだって、拾い上げるとか、なかったことにするとか、逮捕するとかの意味で普段には使われる。ハイデガーが「ドイツ語でないと哲学できない」とかぬかしたのには、この辺の事情もあったりするのだろう。

2017年1月8日日曜日

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2016年12月27日火曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の「現存在」の正体はこれだ…という前に述べておかなくてはならないこと編】

ヘラクレイトス
 (ハイデッガー全集)
   昔々その昔、ギリシャにヘラクレイトスという哲学者がいた。
 よく似た名前にヘラクレスという筋肉バカがいるが、あんなカブトムシ並みの知性の持ち主とは真逆の存在である。
 彼は言った。「万物は流転する!」さらにこうも言った。「あらゆるものは火からかたちづくられている!」
 深遠なる哲学を身につけた彼は、人を嫌って山中で暮らすうちに、身体中に水ぶくれ(水腫)ができてしまった。やむなく街へと降り、医者たちに謎をかけて回った。
「豪雨から旱魃を作り出せるものはいるか?」
「臓腑を空にして水分を出してしまえるものはいるか?」
 医者たちは皆首をかしげ、ヘラクレイトスは彼らに背を向けた。そしてて牛小屋に入ると、牛糞の山の中に寝転がった。子供達を呼んで全身に塗りつけさせた、という話もある。
 そうしてそのまま死んでしまった。享年六十。
 火の熱をすべての根源と考える彼は、牛糞の発する熱が水ぶくれの水分を蒸発させることを期待したのだ。
 なんというか、己の哲学に殉じた、と言えなくもないかもしれない。
   とは言え、ヘラクレイトスの死体を片付けた人たちは、さぞかし難儀だったことだろう。

2016年12月5日月曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…と言えば「現存在」なわけだけど編】

 「現存在」というのは、ハイデガーの哲学の中でかなり重要な位置を占めている。それなのに、なんか知らん「みんな当然わかってるよね?」的な扱いをよくされている。ハイデガーについての、いわゆる「解説書」の中で。

2016年11月15日火曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…がひっくり返せなかったちゃぶ台をひっくり返さずにおかたづけするには編】

    今のところ、ハイデガーと言えばフッサールの直弟子なんだから現象学だということになっていて、区別するためにフッサールについては「超越論的現象学」、ハイデガーの方は「解釈学的現象学」と呼ばれていたりする。
 しかし、読んでみればわかるが、ハイデガーのそれは「現象学」というより「解釈学」の意味合いの方が強く、「現象学的解釈学」と呼んだ方がいいんじゃないかという意見があって、私もそれに賛成したいように思う。
 では、「解釈学」ってどんなのだろう?

2016年11月2日水曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…がひっくり返せなかった『存在と時間』という名の「重すぎるちゃぶ台」編】


 あれはそう、娘が小学校に上がったばかりのことだった。
 ちょっと風邪をひいた娘を病院に連れて行った。そこの小児科の待合室には、大きなホワイトボードがあって、治療を待つ子供達が勝手に落書きして暇を潰せるようになっていた。
 私が手持ち無沙汰に文庫本に目を落としていると、「パパ、パパ」と病気にしては元気な娘の呼び声が聞こえた。「見て見て!」
 なんだ?、と顔を上げると、ホワイトボードいっぱいに幼い字でこう書かれてあった。
「ぱぱ そんざいってなに」
 一点の曇りもない実話である。これだから子供というやつは油断ならない。
 私は何と言って説明しただろう?
「えーと、イスがあるとか、机があるとか、いろんなものが『ある』ってことだよ」
 なんとも残念な説明である。しかし、小学校に上がったばかりの子供に、「存在」について説明できる術があるだろうか?
 いや、いい大人に向けてでも無理だろう。
 ハイデガーだって失敗してるのに。

2016年9月28日水曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の『存在と時間』についてまずはよくある批判を押さえておこう編】

ハイデガー―
ドイツの生んだ巨匠
とその時代 
(叢書・ウニベルシタス)
    堅物なイメージがあるドイツにもちゃんと「小話」というものが存在し、その中に「ユダヤ小話」というジャンルがある。だいたいにおいて、ユダヤ人の「民族性」とやらを、戯画的にデフォルメして笑いを取るものである。
 戦時中のある日、カール・フォン・ヴァイゼッカーはハイデガーにこんなユダヤ小話を披露した。

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の『存在と時間』第一部第二篇第五章第七四節「歴史性の根本体制」“Die Grundverfassung der Geshichitlichkeit”についての資料】



ほんまでっか?ハイデッガー!【…の『存在と時間』第一部第二篇第五章第七四節「歴史性の根本体制」“Die Grundverfassung der Geshichitlichkeit”の中ほどに「民族Volk」という言葉が出てくることについての資料】


2016年9月12日月曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…を解読するには東洋思想が鍵になったりしないけど翻訳すること自体が一種の「批判」になりうる編】

有と時 (ハイデッガー全集2)
『有と時』と書いて、「うととき」と読む。
 なんだか居眠りでもしてしまいそうだが、日本におけるハイデガーの『全集』では、『存在と時間』はこのように訳される。つまり、「有(う)」=存在、「時」=時間、ということなのだ。「時」の方はともかく、「有」については「なんじゃこりゃ」と思うのが普通の感覚だろう。
 なぜ「存在」ではなく、「有」なのか?