中山元訳は「学生時代に 大塚訳をうなりながら 読んだあの苦労は なんだったんだ」 と思うくらい読みやすい |
フィレンツェの商人たちはフランドルにもやってきて、資本を投下しては自らの商圏を拡げたのだった。
商人たちはギルドに属さず、莫大な利益を手にした。
利益?それはどこからくるのか。
利子をとることは、教会法において「神にはほとんど受け容れられ難いdeo placere vix potest」とされていたはずだ。トマス・アクィナスはそれを「卑劣なことturpitude」と言い、『神学大全第2部78問題』において、利子をとることを「不正injustus」と断罪したのだが。
ギルドに属しているなら話は見えやすい。昨日のエントリーに書いた通りだ。ちょっと『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』から引用してみる。
…………
その場合に、利子の禁止命令とどのような方法で妥協したかは、フィレンツェの毛織物商人ギルド『アルテ・デ・カリマラ』の規約第一部第六五章によって、その一例を知ることができる
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「代表(コンスル)は、彼ら[ギルドの成員たち]が、赦しを与えてくれると思われる神父に告白し、しかもこれまでの習慣に従って、前年に受け取った利子について、受領した贈物(ドーノ)、役務、報酬に最もふさわしい形で告白するように手配しなければならない」即ちギルドはその成員のために、免罪符を取得する作業を請け負うことが義務づけられていたのである。
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免罪符!ルターが目の敵にしたアレである。
しかしこのような事例に触れると、免罪符というのは資本主義的な社会生活において、必要不可欠のものだったように思える。
では、ギルドに属さないフィレンツェの商人たちはどうしていたか。答は簡単。ユダヤ人と手を組んだのだ。ユダヤ人は教会法に縛られることなく、金利をとることができる。じゃあ、ユダヤ教は金利を禁じてなかったかというとそんなこともなくて、ただ「同胞から」金利をとることだけ禁じていたため、キリスト教徒相手にはフリーハンドだったのだ。
かくしてユダヤ人に手を汚させつつ、フィレンツェ商人たちはギルドに属することなく莫大な富を手に入れた。
彼らは自ら住む町に資本を投下して市(いち)を立て、その地を「都市」へと育て上げた。
そうした町はbourgと呼ばれ、その町の住人はbourg-eiosと名指された。
ブルジョアbourgeiosの誕生である。
……まだ続きます。
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