ワット・タイラーの乱が鎮圧されると、ほどなく「囲い込みenclosure」の動きが出てきたからだ。
急激にではなく、ゆっくりと、しかし、着実に。
イギリスが羊毛について「保護貿易」で富を積むようになると、都市周辺農業に「資本」が流れ込んだ。
すると、農村に貧富が生じてきた。やがて富めるものはジェントリーにも劣らぬ財を蓄え、彼らはヨーマンyoemanと呼ばれるようになった。
…………
纏うは手製の服なれど、金払いならピッカピカ—ボタンにゃ錫、かくし(ポケット)にゃ銀が入ってる。
He wears russet clothes, but makes golden payment.—Having tin in his buttons, and silver in his pocket.
…………
トマス・フラーThomas Fuller(1608~1661)のThe Good Yoemanの一節である。
ヨーマンの下では、小農husbandmen、小屋住農cotters, cottagersらが働いた。こうした階層分化による経営形態は、マニュファクチュアmanufactureと呼ばれている。
えーっと、確か世界史の授業では「家内制手工業」と習ったんだが……なんかイメージ違うな。
かくして農村に資本主義がもたらされ、このよちよち歩きの経済制度については「小人さんの資本主義Liliputian capitalism」という、どんじゃらほいな呼び名がついてたりする。
で、このヨーマンがじわじわと囲い込みを押し進め、また領主たちもそれにならい、追い出された農民はどこへ行ったかというと、どこにも行き場がなかった。運良く毛織物業者に雇われたの以外は、浮浪者となり乞食となり盗賊となった。マルクスが後に「プロレタリア」と呼んだあぶれもんたちである。絶対王政を目論む王権神授のチャールズ一世は、鞭打ちと烙印と死刑をもってそれに応じた。
格差の拡大はとどまるところを知らず、またそれをとどめようとするものもいなかった。
一応、囲い込みがまずいってのは、当時の人たちもうっすらわかってはいたらしくて、十回ほど禁令が出されている。十回も出たってのは、全然効き目がなかったってことでもあるわけで。
こうしたことが背景となり、1641年にピューリタン革命が起きてチャールズ一世は首チョンパcapitalisされたのだった。
余談だけど、資本主義capitalismの元になったcapitaはヒツジの頭数のことだ、という俗説があるそうな。しかし古典ラテン語では、頭部、個人、身分、源泉、河口、首長、本質、首都の意味はあるが、そこにヒツジというのはない。私見だけど、奴隷身分captivitasという語もあるし、奴隷の頭数だったんじゃないかなあ、と思う。余談終わり。
しかしピューリタン革命は頓挫し、王政復古がなされた。が、もう一つの「革命」が次に待っていた。
産業革命である。
ジェニー紡績機 |
紡績機はどんどん改良に改良を重ねられ、やがて水力紡績機がアークライトによって発明されると、生産量が飛躍的に伸びた。もはや糸紡ぎに奥さんの手間仕事の面影はなく、巨大な「工業」へと変貌したのだった。
しかし、産業革命の「革命」はそこでとどまることはなかった。
水力は蒸気機関に置き換わり、羊毛は十七世紀頃からランカシャーで作られ出した「綿」に、その座を譲ることになったのだ。
それまで羊毛を紡いでいた機械たちは、地元だけでなくインドやアメリカから輸入される綿を紡ぐことに使われるばかりになった。
かくして、ヨーロッパ経済の歴史を動かし続けたヒツジさんの物語は、ここらでとりあえずのシメ、ということとあいなった。
Little Lamb, Here I am;
Come and lick my white neck
Let me pull your soft wool;
Let me kiss your soft face;
Merrily, merrily,
We welcome in the year.
William Blake
羊の歌―わが回想 (岩波新書 青版 689)
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