2015年2月25日水曜日

【フランドルのヒツジさんたちと資本主義編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

古いタイプのメリノー種のヒツジ
    エドワード三世がが羊毛を禁輸したとき、それまで仲良くしていたフランドルは少なからず打撃を受けた。
 しかし、その打撃はほどなく解消された。スペインでレコンキスタが進んだからである。
 なんか風が吹けば桶屋が儲かるっぽい話だけど、歴史は時折そうしたことが起きる。てか、それこそが「歴史」ってものかもしれんけど。

 中東を支配していたウマイヤ朝がアッバース朝に滅ぼされたとき、その残党がイベリア半島を席巻し、ヨーロッパというキリスト教の縄張りにイスラム教の国が出来上がった。元々のウマイヤ朝と区別して、後ウマイヤ朝なんて呼ばれる。
 アラブの娯楽をそのままスペインに持ち込み、コルドバの大浴場で男女混浴しながらキャッキャッウフフと興じていたもんだから、ガチガチのキリスト教神父が「なんたる習俗!」と激怒して、ヨーロッパからいろんな王様が攻め寄せることとなった。それがレコンキスタと呼ばれる「再征服」だ。
 で、後ウマイヤ朝は三百年くらいして滅ぼされ、その後にはムラービト朝とかムワッヒド朝とかナスル朝とか続いて、結局全部たたき出されたのは1492年、コロンブスがアメリカをインドと勘違いした年のことだった。最後のムスリムの王ムハンマド十一世は、逃亡中にシェラネバダ山から王宮に煙が上がるのを見ておいおい泣いた。その横で王の母は、「あれがお前のしでかした不始末の結果じゃ。まざまざと見るが良いわ」と叱りとばしたという。

 さて、スペインは元々メリノー種という、角が守口漬けみたいにねじねじしているヒツジがいて、こいつの羊毛はイギリス産に勝るとも劣らぬしろものだった。
 このヒツジはローマ人が作ってもちこんで、それをさらにムスリムたちが改良した。というか、ローマが滅んで二百年ほどこのヒツジのことは忘れられてたんだけど、中東で高度な文明を築いていたムスリムが再発見し、自分たちが持っていた毛織物の技術で一大羊毛産業を起こしたのだ。
 ところが、レコンキスタのおかげでムスリムたちが追い出されると、折角の毛織物の技術は失われ、残された一千万頭のメリノー種は宝の持ち腐れとなった。

 ここでフランドルの出番となる。イギリスから入ってこなくなった羊毛の代わりに、スペインの羊毛をどんどん織りまくるようになったのだ。のちに八十年戦争(1568〜1648)でネーデルランドがスペインから独立した際、フランドルを含む南部がスペイン領に残ったのは、こうした繋がりがあったからかもしれない。

 そしてメリノー種のヒツジはスペイン唯一の輸出品目となり、門外不出の国家機密扱いで、国外へ持ち出すものは死刑にされた。マジで。
 もちろん羊毛には高額の税がかけられた。
 イザベラ女王は羊毛の輸出税を抵当に入れ、コロンブス遠征の経費をひねり出したという。
 フランドルは毛織物業を基盤としてヨーロッパ経済の中心となり、神聖ローマ帝国に対して都市自治権を獲得した。
 なんというか、ここまでくるとギリシャ神話の金羊毛みたいだ。
 
 フランドルには毛織物の製造工程ごとにギルドが出来上がった。剪毛、梳毛、紡毛、染物、縮絨、つや出し、などなど。織物と仕上に至っては、それぞれ数種類のギルドが成立していた。そして、各ギルドごとに広場や集会所、銀行を所有していた。
 当時、ギルドの親方の主な仕事は何か。
 皆をまとめて商売をスムーズにするのは当たり前のことだ。それよりもっと重要なことに、教会で皆の「罪」をまとめて赦してもらうことがあった。
 その時代のキリスト教は、現代のイスラム教以上に「利息をとるのは罪」だったのだ。しかし、それでは商売は回らない。ギルドの親方は教会にいろいろと納めては、「罪」を赦してもらったのだった。

……と、ここで次回に。すんません。


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