ニーチェ、芸術としての力への意志 (ハイデッガー全集)
「女子力」という言葉がある。そのうち死語になるかと思ったら、みのもんたのように意外としぶとい。大学まで使ってるし。
どういう意味なのかと疑問に感じて検索しても、大して要領を得ない。こういうよくわかんないとこが、廃れない秘密なのだろう。てか、なんで「力」なんだ。発電でもするのか。
そういえば、似たようなのに「ぶりっこ」てのもあったな。こっちは嫌悪の対象みたいだったけど、意外と息が長いところが共通している。小林信彦の『現代“死語”ノート〈2〉』にも載ってるってのに。
女子力というのはよくわからんけれど、この言葉を聞いて思い出すのはゲーテの妻クリスティアーネである。
一八〇六年、ナポレオン軍がヴァイマールに侵攻した。良識だの教養だの、ハムスターの目やにほどにも持ち合わせないならず者たちは、金を持ってそうな家に押し入っては荒らしまくった。
ゲーテの家に押し入ったのは、軍の中でも札付きの連中だったという。夜中にどやどやと押し掛けられ、さすがのゲーテも青くなるばかりだった。
そこへ割って入ったのが、メイドのクリスティアーネだ。
「うちの旦那様になにするだああ!」とワルどもを追い払ってしまったのだ。
感激したゲーテは、クリスティアーネと正式に結婚した。と、淡々と書いてしまうと上手く伝わらないが、これは当時としてはとんでもないことだった。ゲーテは父の代の成り上がりとはいえ、「フォン」のつく身分であり、名にし負う文豪であり、ヴァイマール公国枢密顧問官である。
それがメイド風情と結婚など、ありえない反社会的行為だったのだ。おかげでゲーテは総スカンをくらい、出入りしていたサロンのほとんどから閉め出されてしまった。
唯一ゲーテを受け入れたのがショーペンハウエル家のサロンで、これがショーペンハウエルが世に知られるきっかけのそのまたきっかけになる。
「助けられてほれちゃう」てのは普通男女逆なんだけどね。
そういえば不完全性定理で名高いクルト・ゲーデルもそうだった。ナチ占領下のウィーンの街角で、チンピラにユダヤ人と間違われて小突かれていたとき、「くおらああ、うちのいい人になにすんだあああ!」と、キャバレーで踊っていた女性が傘振り回して助けてくれて、その人と結婚したのだった。
ところで、右の画像の技って、なんか名前があるの?
アニメにもなってるみたいだし↓
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