独立と言えば、ちょっと昔に「佐渡島独立運動」てのがあった。
中心になってたのが永六輔。他に小沢昭一や柳家小三治なんかも加わって、ちょいと粋な大人の遊びって感じでわいわいやっていた。
なんで佐渡かっていうと、海に囲まれているてのと、食料自給率が百%を超えている(当時)てのがその理由だ、とのことだった。
細々したことは『佐渡新発見 (三一新書)』て本で触れられている。また、ネットでも「佐渡独立論」と離島新興法なんてのがアップされていて、当時シャレはシャレなりにけっこうな盛り上がりを見せていたことがわかる。
で、この運動、盛り上がった所でたちまちしぼんでしまい、まあ普通に「飽きられた」んだろうな、と思っていたのだが……
十数年前のある日、カーラジオをつけるとたまたま永六輔の声が流れてきた。例のちょっと舌足らずな高い声に、せき声のどに浅田飴なノスタルジアを感じて聞き流していると、ふと話題が「佐渡独立運動」のあれこれになってきた。
で、永六輔が当時の楽しいエピソードをひとしきり喋っていて、アシスタントから「どうしてやめちゃったんですか、今もやったらいいのに」と言われた。
するとおしゃべりがぴたりと止まって声のトーンが変わり、「これ、もう昔のことだから喋ってもいいかもわからないけど……」というような前置きをして、にわかには信じがたいエピソードを語りだした。
ある時、永六輔がちょっと仕事で香港(まだ返還前だった)に行ったときのこと。ある人の紹介があって、街の真ん中に建つマンションの一室に招かれた。そこには不思議に奇麗なお婆さんが椅子に腰掛けていて、彼女にかしづくように初老の男たち数人が立ち並んでいた。
なにやらただならぬ空気の中、並んだ男たちの一人が言うには、このお婆さんは川島芳子である、世間では死んだことになっているが、身代わりを使って生き延びた、もし佐渡が独立した暁には、このお方を呼び寄せなさい、云々。
で、とんでもないのがひっかかってきちゃったと思って、それから独立運動はやめになった、と。「決して他言しないようにって言われてたけど、今日喋っちゃったので、もしボクが死んだら今日このことを喋ったからだと思ってください」とやや早口にまくしたてた。
以上、記憶だけで書いたのでやや不正確かもわからないが、大体の要所は合っていると思う。でもさあ、永六輔ってまだ生きてるよね。いっぱいくわされたのかな。
しかし、国家のあれこれってのは、珍妙な亡霊を呼び寄せることもあるのだろう、とその時思ったのだった。
マイ国家 (新潮文庫)
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