またぞろ娘と観に行ったのだが、娘は大いに感情移入して涙ぐんでいた。
この断絶は一体なんなのだろう。(以下ちょっぴりネタバレ)
この映画には「おとこのこ」がいない。
マーニーのフィアンセのようにハイソなのは「おとこのこ」ではない。どっちかというと「少年」だ。浜のゴミ拾いに行き会うところで、三人ほどそれらしきものが出て来はする。
おとこのことは何か。マザーグースにきくまでもなく、図々しさとか下品さとか乱暴さとか馬鹿さとか、成長するまでに洗い流さなくてはならない諸々のものである。そう、おとこのこは成長しない。成長を拒むのがおとこのこだからだ。なので、「少年の心を忘れない」とか言う人がいたら、ちょっと気をつけた方がいい。その人は少年の振りをしたおとこのこかもしれない。少年は成長するが、おとこのこは成長しない。
そして、何よりも、おとこのこは女の子が嫌いだ。
女の子はあらかじめ成長しきっていて、身にまとったものを出来るだけ洗い流さないようにするのが良いとされるからだ。馬鹿で下品で乱暴な自分と比べ、なんという違いだろうか。おとこのこは女の子に軽蔑されると知りつつ、「ぶーすぶーす」と騒ぐばかりだ。
おとこのこのいない世界でなら女の子は棲みやすいか、というとそうでもない。女の子は女の子で、おとこのこがいないところでもたいへんなのだ。
これを作った監督が、どんな子供時代を送ったか知らないが、おとこのこはこの映画の中に居場所がない。
もしかすると、馬鹿で下品で乱暴なおとこのこは、これからどんどん居場所がなくなるのかもしれない。
そしてやがては、おとこのこもいなければ女の子もいない、そんな映画が作られることだろう。
それはそれで見てみたい気はするが。
ところで、『アナと雪の女王』って全然見てないけど、こっちも似たようなものなのかな?
特装版 思い出のマーニー
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