2014年9月28日日曜日

誕生日だからどうしたというわけでもないけれどいくつかの話

十代目金原亭馬生 噺と酒と江戸の粋
今日は自分の誕生日なのだが、実はこの誕生日について違和感がある。ほんのちょっぴりではあるけれど。
 幼い頃、私は自分の誕生日を二七日だと思っていた。たぶん、誰かにそう教えられたのだろう。二八日だと記憶を訂正されたのは、小学校に上がる頃だった。この偽の記憶については、親父が主犯であろうとにらんでいる。親父は私が大学を卒業するときも、何かの書類に「二七日」と書いていたので、私が訂正した憶えがある。
 別に深夜に産まれたわけでもないのだが、ちょっと居心地の悪い話だ。

 とはいえ、落語家の十代目金原亭馬生に比べれば対したことはない。彼の父親は今や伝説と化した古今亭志ん生なのだが、長男が産まれても志ん生はなかなか届けを出さなかったらしく、誕生日どころか「昭和か大正かすらもあやふや」だったという。ちらっとした思い出話では、「うだるような暑い日だった」というのだが、届けられた誕生日は一月五日である。
 長じて馬生は志ん生に質してみた。
「おとっつぁん、ほんとのとこ、おいらはいつの生まれなんだい?」
 志ん生応えて曰く。
「ばかやろう、生まれたんだからそれでいいじゃねえか」



せいいっぱい―土井たか子半自伝
私の誕生日というのは、例年何事もなくすぎることが多く、大きな事件というものはあまり起こらない。おまけに大した人が生まれたこともなく、死んだこともない。孔子の誕生日になっているが、あれは旧暦なので関係ない。
 土井たか子死去の報に「おや、命日になったかな」と思ったら、二十日に亡くなられていたとのこと。うーん。
 
 しかし、昨日はン十年ぶりに御嶽山が噴火した。前回の噴火のときは小学生だったので、うっすらと憶えている。テレビに登場した大学教授が、やたら「わかりません」「これから調査します」を連発していた。まあ、それまで有史以来噴火の記録がなく、「死火山」とレッテルされていたんだからしかたがない。ワイドショーでは「死んだはずだよ御岳山」などというテロップが流れたりした。

 御嶽山は山岳信仰のメッカでもあり、御嶽講という集団ごとに山に登ることになっている。講によっては教団に成長したものもある。
 数十年前、御嶽講のさかんな岐阜のとある村がダムに沈んだ。国から得た賠償金で、村人たちは東京でそれぞれにラブホテルを経営しだした。講のある日は、まだ夜の明けきらぬラブホテル街のあちこちから、白装束に笠に杖という成りを固めた人たちが現れ、駅に向かうのが見られたという。ラブホテルの名前は必ず「水」に関する名前が付けられたので、わかる人にはわかるようになっていたそうだ。以上は宮田登による。
木曽のおんたけさん―その歴史と信仰
さて、ここから別な話なのだが、以前常連だった呑み屋で「水に関する名前のラブホは、出る」という噂を聞いた。出る、というのはひゅーどろどろである。なにか関連があったのだろうか。ちょっと気になる話だ。
 ちなみに、それらのラブホが今も続いているかは定かではない。

 今回の件で、さすがに一般登山客は敬遠することになると思うが、講や教団の人たちはそれでも登ろうとするだろう。どうなることか。

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