2014年9月7日日曜日

なぜ占いは心地よいのか

【性格診断】あなたはどの眼に惹かれますか?
「わー、これすごい!当たってる当たってる!」
 と今朝方娘がパソコンの前で騒いでいた。
「ねえねえ、パパもやってみて!」
 どらどら、とのぞくと、”【性格診断】あなたはどの眼に惹かれますか?”というネットの記事だった。
 ああ、よくあるやつだなと頭をかきながら、「じゃあ三番」とぱっと見で選んだ。そしたら、占いの解説文を読む娘の顔が、みるみるうちにこわばってきた。なんじゃい、と改めて画面を見ると、私についての診断は以下のようなものだった。


あなたは心の奥では苦しんでいる人間です。過去に荒々しい出来事を経験しており、その影響が今もまだ残っているようです。いたる所に平穏さを見つけようとし、外の世界には自分の暗い一面を見せることはありません。あなたには耐えなければいけないことが多くありますが、それも他人には見せようとしません。しかしあなたは自分を苦境から救い出すことも得意であり、あなたの将来は明るいものとなっています。


  あのー……なんだこの、一昔前の劇画に前髪で片目隠して登場しそうなキャラは。なにもんだよ。少なくとも俺じゃねーぞ。

 実のところ、私はよっぽどねじくれた人間なのか、占いとかそういう類いがさっぱり自分に当たらない。
 どのくらい当たらないかというと、ある日私の血液型を知った女性が口角あわあわな勢いでつめよってきたくらいだ。
「それ、絶対病院でちゃんと検査してもらった方がいいよ。あたしの友達もずーっと自分の血液型を間違えて憶えたもん。その性格からして、A型かAB型以外ありえないって!」
 私はO型である。どのくらいO型かというと、両親もO型なら祖父母四人ともO型で、もし別な血液型だったら家庭争議が起こるくらいだ。おまけに妻もO型なら、もちろん娘もO型だ。なんだかぼけ役ばかりでツッコミがいないみたいな家系だが、別にO型純粋化ブリーディングにはげんでいるというわけではない。たまたまである。
 ここで前世占いをするなら、先のセリフを言い放った人は、前世でスペイン宗教裁判の異端審問官をしていたに違いない。
 こういう不必要に熱心な人がいるから、対抗して「血液型占いなんか信じてるやつは〜」と口角あわあわあわな人が出てくるのだろう。
 まあ、自分自身に当たらないのは血液型だけじゃない。星座やら手相やら字画やらもさっぱりだ。全部当たっていたら、今頃世界を手中に納めているはずなのだが。しかし、当たってなくともそういう話題を振られたら「へー当たってるね。すごいね」と返すくらいの処世を心得てはいる。冒頭のような、失敗した大リーグボール1号みたいのは別として。
囚人狂時代 (新潮文庫)


 さて、なぜ人は占いが好きなのだろう。当たっても当たらなくても。非科学的というだけじゃない、聖書にだって「占い師の言うことは信じるな」と書いてあるのに。でも星座占いが好きな天文学者とか、生命線の長さを気にする神父なんてのがいても、それはそれで面白い気もする。
 見沢知廉の『囚人狂時代 』に、占いについて興味深い記述があった。著者は右翼団体の粛正実行犯として懲役十二年の刑に服している。占い好きの著者は、収監中にできるだけ他の囚人のデータを集めて回った。概ねバラバラだったわけだが、一つだけ傾向が一致するものがあった。
 それは姓名判断である。囚人たちは揃いも揃って名前の字画数が最悪なのだという。
 ここで「やっぱり名前の字画って大事だよね!」ということにはならない。画数占いなんてのは、科学的根拠がないのはもちろん、歴史的にも文化的にも浅い占いなのだ。
 ただ、見沢に近い年代であれば、子供の名前を付けるときに字画を気にするのは当たり前だっただろう。かなり流行したからだ。裏返してみれば、子供の名前に気をつけるのは、親が子供の将来への気遣いのあらわれで、最悪の画数というのはそれが無かった、ということなのではないか。もちろん、そうした親の態度は子供の成長過程においても顕れ、後の人格形成に影を落としたことだろう。
 人は幼き日々を、将来を願い、成長を言祝ぐ言葉に包まれて育つ。長所も短所も等しく愛される対象となる。
 占いが人に与える「言葉」は、幼き日周囲にあふれていた言葉と似たような響きを持つのではないか。どのようなものであれ、占いが心地よく、人々がそれを好むのはそのせいだと思う。
 これは自らの心の有り様というか、快楽との距離の取り方の問題なのだ。時折見かける「占いを好むような非科学的なやつらは〜〜!!」と吹き上がる類いの言論は、なんでもかんでも占いに頼り切りになってしまいには全財産巻き上げられるようなのと、「距離」を取れてないという点で同じようなものだと思う。

 ともあれ、私は占いという快楽からはやや離されてしまっている。この「自分についての占いがさっぱり当たらない」という話を、いきつけの呑み屋でしたとき、たまたま隣にいた男性がこう占って(?)くれた。
「そんなあなたに、ぴったりの職業がありますよ」
 その時、私はたまたま無職でぶらぶらしていた。
「へえ、そりゃなんですか?」
「占い師」

 なるほど。しかし私は今、古本屋を営んでいるのだった。


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