前回のつづき。
マラルメの有名なセリフに「世界とは一冊の書物に至るべきものだ(Le monde est fait pour aboutir à un beau livre.)」というのがある。とても有名なのに人によって解釈が違ってくる、ということでも有名なセリフだ。ひねくれた人は「ル・モンドで連載して本にしたいなあ、てことだろ」なんて茶化したりする。しかしまあ、前回のようなことに気づけば、「人間の歴史って、読者の視線を意識してるよね」ということを言ってんだな、とわかると思う。
マラルメ詩集 (岩波文庫)
そういう「過去の歴史を神の如き視点から書物を読むようにして解く」なんてのが啓蒙思想で流行ったのは、ニーチェが否定してフーコーが批判してからはなはだ評判の悪いものになってはいるけれど、やはり「普通の」「凡庸な」読者にとっては魅力的であることに変わりはない。
そんなわけで、一年の締めくくりに大ボラを一発かましてみようと思う。どのくらいの大ボラかというと、マルクス並みのやつだ。しかも、ホラとは言えどちょっとマジだったりする。ちょっとだけね。
さて、最近の経済なんちゃら報告から「デフレ」の文言が消えるそうで、日本は念願のデフレ脱却を果たした、てことになるそうだ。ま、果たしてなくてもそう言い張るんだろうけど。
だけどさ、デフレってなんだろう。「一般的価格の継続的な下落」とまあ普通言われている。まあ、どんどん物価が安くなっていくってことなんだけど、それの何が悪いかと疑問にすると、「経済を専門にしている人」が鼻で笑いながらご託宣を下さるということになっている。でもやっぱり、「値段が下がって何が悪いの?」という疑問が、腹の内からすべて氷解するわけじゃない。
だいたい、人間の歴史をざっと眺め渡すと、物の値段てのはどんどんずんずん下がってきたわけでしょ。つい最近だって、携帯電話という贅沢アイテムが、今じゃ小学生でも持ち歩くようになってる。こういうのは「一般的」価格じゃないのかもしれんけど、実感としては「べらぼうに安くなった」てとこだろう。
人間の歴史は、物の価値が安くなる歴史だったと思う。
逆にインフレってのはとにかく「物価が騰がる」ことなわけで、悪役としてわかりやすい。自分もオイルショックでのことをうっすら憶えている。でもこれ、「物価が騰がる」だけじゃなくて、「お金の価値が下がる」てことでもあるんだよね。で、この場合の「価値が下がる」てのはどういうことかというと、「大勢の人がたくさんのお金を手にすること」なわけ。
でまた、人間の歴史をざっと眺めると、お金によって生活する人がどんどん増え、しかもその人たちが手にするお金がずんずん増えてきた、てことであるわけ。
有名なハイエクも「歴史の大部分はインフレーションの歴史であり、しかもたいていは政府が自らの利益のために企んだインフレーションの歴史であると述べても誇張ではない」と著作に書いている。
政府が企んだかどうかはさておいて、人間の歴史は、お金の価値が下がってくる歴史だったと思う。
貨幣論集 (ハイエク全集 第2期)
と、ここにきて、あれえ、なんか矛盾してね?と気づくだろう。物もお金も価値が下がったんなら、それに対して一体何の価値が上がったんよ?
それについては、労働の価値が上がったと答えよう。
その昔、労働なんてものは本来人間がなすべきものではなかった。聖書では楽園を追放されたアダムに与えられた罰とされている。古代ギリシアでは奴隷にやらせることだったし、中国では君子たるもの労働なんぞしなかったし、イギリスでは労働するのは紳士のたしなみではなかったのだ。まあとにかく、まっとうな人間は労働なんかしなかったし、軽蔑すらしていた。
そんな労働の価値を引揚げたのが、資本主義である。
なんか「資本家による搾取」ばかり取り上げられることが多いけど、資本主義の「精神」によって、労働がそれまでにない価値を与えられたことは、マックス・ヴェーバーがとってもわかりにくく指摘したところだ。
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 (岩波文庫)
マルクスの「階級闘争」てのは、この「労働の価値が上がる歴史」の表層に現れたものをなぞっただけなんだと思う。まあ、マルクスが生きてた頃は、まだ資本主義が成熟してなかったし、現代の我々のような視線を持ちえなかったのもしかたないだろう。
つまり、人間の歴史は「物の価値が下がり」「お金の価値が下がり」「労働の価値が上がる」 ということを、行きつ戻りつ、それこそ酔っぱらいのランダム・ウォークの如く達成してきたのだ。
その場その場の「経済的」局面では、 インフレだったりデフレだったりしつつも、人間の歴史はこういう方向で動いてきたんだと思う。
こういうことは「経済を専門にしてる人」にはなかなかわからないとだろう。いや、その他の「専門家」の人たちもそうだ。なぜなら、あまりにバカバカしいから。
だって、要するにこれって、「あー、うちの旦那の給料がもっと上がらないかなー、そんでからもっと物価が安くなんないかなー」という主婦の愚痴と、たいしてレベルが変わんないんだもん。
だけどさ、こうした最底辺部の人間の「欲望」てのは、ほとんどの人が共通で抱えてるもんだし、歴史がそれに沿って流れたとしても全然不思議じゃないんじゃなかろうか。それにこの「欲望」は、高邁な理念やら理想とも違うものだから、理論的にまったく矛盾していてもぜんぜん関係ないのだ。
そして人間は、コールタールの海を遡るようにして、「物の価値が下がり」「お金の価値が下がり」「労働の価値が上がる」ことを目指して歩み続けるのだった。
以上が、ここまで「読んだ」私という「読者」の感想であったのだった。 ただし、「経済」のとこだけ。
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