1.しばしば会議を開き、会議にはできるだけ多くの人が参集するべし
2.協同して集合し、協同して行動し、協同してなすべきことをなせ
3.未だ定められていないことを定めず、すでに定められたことを破らず、昔に定められた旧来の法に従って行動せよ
4.老人を敬い、尊び、あがめ、もてなし、彼らの言を聞くべし
5.良家の婦女・童女を暴力によって捕えてはならない
6.聖域を敬い、尊び、あがめ、支持し、以前の法に適った供物を絶えないようにすべし
7.尊敬されるべき人を守り、そうすることで尊敬されるべき人が集まってくることを願うべし
なにやら抹香臭いことを言い出したな、と思われる方もあるだろうが、上記はブッダによる「国家が衰亡をきたさない法」をわかりやすくしたものだ。
ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (岩波文庫)
これらの七つの条件は、ヴァッジという都市国家が守っていたものだ。
ブッダは語る。
「バラモンよ、かつて或るときわたくしが、ヴェーサーリーのサーランダダ霊域に住んでいた。そこで、わたくしはヴァッジ人に衰亡をきたさないための法を説いた。この七つがヴァッジ人の間に存し、またヴァッジ人がこの七つをまもっているのが見られる限りは、ヴァッジ人の繁栄が期待せられ、衰亡はないであろう」
ヴァッジというのは、当時インドにあった商人中心の共和制によって統治された国らしい。王を持たず、万事は会議によって決定されていたそうだ。
こういう共和制による国家は、なんとなくヨーロッパ独自のものに思われがちだが、調べてみるといろんな地域に発生している。たいがいは都市国家で、商業が盛んで、そしてあふれるほど富を貯め込んだところで、「王国」がそれをもぎとってしまう。熟したフルーツを刈り取るようにして。おそらくは、歴史から消されてしまったものも多いことだろう。ギリシアのアテネやスパルタ、そして中世からナポレオンに征服されるまで続いたヴェネチアなどは幸運な例外に過ぎない。ギリシアのポリスたちがペロポネソス戦争において、休憩すると河を一つ干上がらせてしまうほどの軍勢を率いたペルシャのキュロス大王を斥けることができたのは、ちょろちょろ逃げ回っているうちに相手が自分で自分の足を踏んですっ転んでくれたからだ。ダビデのように果敢にゴリアテを打ち倒したわけではない。
さて、ご他聞にもれず、このヴァッジも王国から目を付けられた。強大なマガダ国の王、アジャータサットゥがヴァッジを蹂躙しようと考えたのだ。
そこでアジャータサットゥは、大臣のバラモンであるヴァッサカーラに申し付けた。「ちょっとヴァッジて国を滅ぼしちまおうと思うんだけど、いやもう決定してんだけど、ブッダはどう思う?、て訊いてきてくれ」
ときどきいるよね、こういう人。おおよそ性格が歪んでるんだ。
ちなみにこのアジャータサットゥてのは、漢字で「阿闍世」と書く。
阿闍世コンプレックス
ダイバダッタに唆され、自らの父親ビンビサーラ国王を幽閉して死なせ、同時にダイバダッタのブッダ殺害に協力した、とも伝えられている。
ようするに、ブッダへの嫌がらせと言うか嫌味と言うか、「まあ、お前はそこで指をくわえて見てろ」的なことが、国王からバラモンを通してブッダに伝えられたわけだ。
その時ブッダがどうしたかというと、側にいる弟子アーナンダに対し、ヴァッジ人は冒頭の七つの条件をよく守っているか、とひとつひとつ聞いたのだ。アーナンダはそれに対してひとつひとつ「(守っていると)私は聞きました」と答えた。
そのやり取りを聞いた国王の使いのバラモンはこう言った。
「きみ、ゴータマよ、衰亡をきたさないための法の一つを具えているだけでも、ヴァッジ人に繁栄が期待せられ、衰亡は無いであろう。いわんや七つのすべてを具えているなら、なおさらです。 きみ、ゴータマよ。マガダ国王アジャータサットゥは、戦争でヴァッジ族をやっつけるわけには行きません」
きちんとした統治が行われている国家ってのは、だいたいにおいて侵略しがたい、てことはマキャベリですら言っていることだ。
そのことをブッダは「そういえばアーナンダ、ヴァッジって国は今どんな感じなんだっけ?」と訊くことで、バラモンに悟らせたわけだ。
自身も元王子でありながら、ブッダはどうやら王制に対し、反対ではないが、懐疑的であったようだ。
とこの辺で次回に続く。
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