幼い祖母は仲のいい女の子と二人で、時々山に入って遊んでいたという。子供だけで山に入ることは厳に戒められていたが、山は家から遠くないし、そんなに深くないところだからいいだろう、と子供らしい勝手な理屈で入り込んでいた。
山に入って少ししたところで、山道からちょっとはずれると、ぽっかりと空いた相撲の土俵くらいの空間があって、祖母とその子はそこでお手玉をしたりままごとをしたりして遊んでいたという。なぜかそこは、冬でもぽかぽかしていたそうだ。推測するに、なんらかの偶然で堆積した落ち葉が堆肥となり、発酵して熱を持っていたのだろう。
さて、冬のある日、いつも通り二人でそこに行くと、おかしなものが見えた。
すっかり枝ばかりになった木立の群れの奥、ひときわ高い樹の枝に、何かが引っかかっているのだ。
それは遠目に、花嫁が着る打ち掛け衣裳とわかった。
白く光る布に、くっきりと赤い糸で鶴が縫い取られていたという。
祖母は友達と二人で「なんやろう」「どうしたんやろう」とつぶやきながら、しばらくそれを見ていた。
そのうち雪がちらつき始め、なんだか怖くなって二人して手をつないで走って帰った。
それから三日ほどは、友達と顔を合わす度に花嫁衣裳のことを話した。
「あれは何だったんやろか」「おばけやろか」「いや、きっと風で飛ばされたんやわ」「きっと花嫁さん困ってるわ」
いろいろと話しはしたが、もう一度見に行こうか、とはどちらからも切り出さなかった。
が、三日が過ぎた朝、学校へ行く途中にまたその話を祖母がすると、友達はそのことをすっかり忘れてきょとんとしていた。祖母は驚いて、この間いっしょに見たことを一生懸命話したが、友達はまったく思い出せないようだった。そうして懸命に話してるうち、なんだか祖母のほうも夢を見ていたような気分になってきたという。
しかし、「何かに化かされたんかも知れんが、ほんまにあれはあったんやで」と、孫の私に話してくれた。
祖母とその子は、それ以降山に入らなくなり、そのうちいっしょに遊ばなくなってしまったそうだ。
「花嫁衣裳」というと、私も一つ奇妙な思い出があるので、ついでに書いてしまおう。
確かあれは、就職してすぐくらいの頃だ。五反田辺りで飲んでいてうっかり終電を逃してしまい、朝まで過ごせる場所を探すうち、どこかの裏道に迷い込んでしまった。
ぽつぽつと街灯がともる細い路地の向こう、ビルの非常口とそれに続く階段が見えていた。
なんとなしにそちらの方へ向かって歩いて行くと、ドアががたがたと動くのがわかった。
少しぎょっとして足を止めると、ばたんとドアが開いて中からウェディングドレスを着た女性がとび出してきた。そしてそのまま、慌てた様子で非常階段を駆け降りていった。金属の階段を蹴る音がしなかったので、もしかすると裸足だったのかも知れない。
はっとして時計を見ると、ぴったり三時を示していた。夜中の三時である。
何だか恐ろしく感じて脇の道に入ると、その向こうに大きな通りが見え、そこまで出ると二四時間営業のファミレスが見つかった。そして、そこで始発まですごし、家に帰った。
今思うと、酔って見た幻だったような気もするが、それにしてもずいぶん美しく、また印象的な光景だった。
打掛 友禅染め 飛鶴 |
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