孔乙己・風波 (表音・注釈魯迅作品選) |
内容は、孔乙己という落ちぶれたインテリの話だ。孔乙己とはあだ名で、手習いで書く決まり文句「上大人孔乙己」から来ている。孔という姓だけは本名らしい、とされている。
科挙をすべって日々だらだらと暮らし、代書を生業としたこともあったが、酒癖の悪さから筆も紙もなくしてしまい、今はこそ泥をしては酒を飲む日々だ。
何を盗むかというと、本である。
…………
“窃书不能算偷……窃书!……读书人的事,能算偷么?”
《竊書(せっしょ)は盗みとは申せん……竊書はな……読書人のわざ、盗みと申せるか》(竹内好訳)
…………盗んでいたのは本ばかりでもないようだが、このセリフに孔乙己の似非インテリらしさがよく現れている。
読書人というのは君子、インテリ階級のことで、昔の中国のインテリってのは一種の特権階級で、いろいろなことが「赦されて」いた。その中には、本を盗むということが含まれていて、読むべき人間が手に入れることはよいこと、のように考えられていたのだろう。
しかし、孔乙己は飲んだくれの怠け者で、おまけに村の笑い者である。ただし、プライドだけは人一倍だ。その証拠に、村でただ一人長衣を来ている。長衣というのは長くてびらびらした服で、およそ労働には向かない。インテリは労働などしない、という思想がこの服に表されているのだ。魯迅はこういう人間を書かせたら天下一品である。
花泥棒は罪にならないというセリフは昔からあるが、本泥棒が罪にならないことはあるだろうか?
たとえばヴォルテールの『哲学書簡 』である。
ヴォルテールの承認なく勝手に印刷されたフランス語版(その前年に英語版が出ていた)は、出回ると同時にパリで大騒ぎになる。勝手に出版したジョールは逮捕され、バスティーユ監獄に叩き込まれる。パリ高等法院は「焚書」の判決を下し、ただちに裁判所の大階段の下で焚かれることになった。
しかし、担当したイザホーという役人は、別な本を執行吏に焚かせて、『哲学書簡』をちょろまかしたのだった。
……これなどは「竊書は盗みとは申せん」という事例に当たるかもしれない。
そういえば昔、浅田彰が何かの対談で、学生時代に高ーい本を万引きしたことがある、と話していた。なんで半端なお坊ちゃんてのは、自分のこすい悪事を自慢げに話したりするのだろう?
ともあれ、古本屋にとっては、たとえ相手が超インテリだろうが、ノーベル賞受賞者だろうが、本泥棒は不倶戴天の敵である。普段死刑制度に反対している人ですら「でも本の万引きは死刑にしたい」と口にするくらいだ。
紙魚とゴキブリと本盗人には死を!それが古本屋の叫び!
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