2014年11月2日日曜日

【金がないのは首がないのといっしょやというけど土地はサムライにとって首以上だった編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

「金がないのは首がないのと一緒や」というのは、西原理恵子 の名言、ではなく正確にはお母様の淑子さんの口癖であったかと思う。
 実は資本を意味するcapitalも、その語源は「頭部」、すなわち「首」である。capitaはcaput(頭部)の複数形。元々はラテン語のcapitalisで、その使用はおおむね死にまつわるものだ。つまり、首をはねること。現在でもcapital murder(死刑に値する殺人)やcapital crime(死罪)という言葉があるが、これは死刑と言えばでっかい刃物で首チョンパしてたころの名残なのだ。
 資本主義というのは、このように語源的に血なまぐさい臭いを持つ。そのcapitalが「資本」という意味を持ち出したのは、十九世紀も後半のことになる。



 日本において「首を切る」という行為を、正当な名誉あるものとして行っていたのは、サムライたちである。
 彼らは戦場を駆けずり回り、敵の首級(みしるし)を上げることを目的とした。
 何のためにそんなことをしたかというと、自分の「名」を挙げるためである。「名」は、他者の命を奪い、首をかききることによって、その輝きを増すことができた。
「名」とは何か。
 それは「土地の名」である。サムライの持つ「苗字」は、おおよそ自らが住まう「土地の名」であった。
「名」を挙げることは、己の所有する土地名をしろしめ、その値打ちを挙げることにつながった。
 もちろん下級のサムライの多くは、土地など持たない。敵の首を切ることは、それによって得られる恩賞や「知行」によって報われた。その行為も、「名」をあげるということになった。
 つまり、サムライが敵の首を切って「名」をあげるというのは、自分の「財産」を増やす、ということなのだ。質的にも量的にも。
 その「財産」とは、基本的に土地のことだった。
 サムライにとって、土地は命を懸けて奪い合うもので、金銭によって売買するものではなかった。土地はサムライやその家族に食料や住居をもたらし、それは子から孫へと世襲される「財産」であり、自分一人の命などよりも重大な価値を持つと認識された。だから徳政令では、借金の形にとられた土地が返されたし、借金もついでにチャラになった。
 江戸時代、サムライの給料と地位は米の「石高」で示された。石高とは土地の生産性であり、土地の面積もそれでしめされた。土地が有する生産性=土地の価値であり、それがそのままサムライのレゾン=デートルとなったのだ。
 だから所有せずとも自らの関わる土地について、その生産性を上げることがそのまま自身の価値を上昇させることとなった。そのためには死もいとわない。自らを殺し、他の命を奪いもする。その「職分」のあり方が、サムライに土地への超越的な権能を与えたのである。ちなみに「職」というのも、江戸以前は土地に関わる権利を意味した。

 サムライは主君のため、己の名誉のために戦った、とされる。
 それはドラマや映画や『ラストサムライ』に登場する、観念的なサムライでしかない。
  実際に彼らが、実在したサムライが戦ったのは、「土地」のためである。
 主君は土地への権能を保証してくれる存在だったし、名誉とは己の「名」を知らしめて土地か、その土地に変わる権能を与えてくれるものなのだ。
「土地」が先にあり、やがて「名」こそを惜しむようになり、そうしたサムライの在り方を決定的に変えたのは下克上であり、その完成形といえる豊臣秀吉であった。
 というところで、また次回に。



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以下、続いて書かれたエントリーのリンク集。
読み進むにつれて触発され、「財産」が「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする、ということについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。

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