これまで「なぜおばあさんというものは怖い話をごく普通のことのようにして話すのか」というエントリーを、脳みそのすみにしまい込まれた記憶をほじくり出しては書いてきた。
今回はちょっと、おばあさんが「本当に恐ろしい」という風に話してくれたことを書こうと思う。
幼い頃、けっこう大きな家で暮らしていた、ということは以前ちらっと書いた。
といっても代々の旧家ではなく、成金の祖父が買い取ったものであり、祖父の死とともに解体され、今その跡には庭付き建て売り住宅が一ダースほど建っている。念のためことわっておくと、長男である父がすべて弟妹(叔父叔母)に分与したため、遺産の分け前というほどのものはほとんど私にはない。
そしてすべてが落ち着いて少ししてから、祖母(おばあさん)が語ってくれたことには、その家の解体や分与に関わった人たちが次々に災難にあった、というのである。
まずは分与に携わった税理士と会計士が死んだ。税理士は家族と歩いていて、いきなり倒れてその場で息を引き取ったという。
解体業者の社長も頓死した。社員も次々に事故や病いに見舞われ、社員の数が半分になってしまった。
なにやらツタンカーメンの呪いのようだが、それよりもその時同時に聞かせてくれたあることの方が、私には興味深かった。
家には古い神棚があった。
私も憶えているが、家のすみの西日しか入らない三畳間にそれは置かれていた。なぜそのような場所に「神様」が押し込められているのかわからなかった。普通の家では、神棚は座敷の目立つところに据えられているものなのだが。
その神棚は、元々はその家の元の持主のものであり、祖父が家を買い取るとともにそのまま引き継いだのだ。
祖母は家を壊すにあたり、その「神様」を元の持主に返すことにした。元持主は少し離れた所に暮らしており、以前家を売り渡した代の者はすでにおらず、快く「神様」を引き受けてくれた。
すると、その家は家人が寝付くことが多くなり、腰を痛めて寝たきりになった奥さんは、ある日そのまま息を引き取ってしまった。
その「神様」の呼び名は「ほくじんさん」という。漢字はどう書くのかわからない。祖母も忘れていた。普通に「北神」かもしれない。
「神様」は昔、敷地の一角の鬱蒼とした竹薮の中に祀られていたという。
その竹薮には憶えがあって、昼なお暗く、常に空気が湿っていて、何十年もの間竹の葉が溜まった地面は、足を入れると何か獣の腹を踏むような心地がして不気味だった。そこで遊ぶことはほとんどなかったが、一度奥まで「たんけん」した際、盛り土の崩れたようなところがあったので、もしかするとそこに置かれていたのかもしれない。
なぜその「神様」が家の中の目立たない場所に移されたか、についてはちょっと思い当たることがある。
おそらくは明治維新とともに行われた「廃仏毀釈」と関連があるのだろう。廃仏毀釈はただ仏教を弾圧しただけではなく、地方にある土着の神々をも潰したのだ。
すべては、「国家のための」神道を成立させるためである。
その際、数多の産土神(うぶすながみ)も喪われた。延喜式神名帳に記載が無い神は、ひとくくりに「淫祠邪教」の類いとされ、元から存在しなかったかのように、祠はもちろん、記録なども全て焼かれたとのことである。
推測ではあるが、それを避けるためだったのだろう。
祖母は毎朝一番に、その神棚の水を換えることを忘れなかった。
そのためか、祖母に縁のある者はなんら災難に遭うことはなかった。
北神伝綺 (上) (角川コミックス・エース)
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