2016年1月31日日曜日

生まれて初めて遭遇する「書物」が電子書籍だったら

 生まれて初めて遭遇する「書物」、紙の束の中にあるもう一つの世界について、半ば強制的に子供の記憶に残るものは、半ば「悪夢」でもあるだろう。


センダック、まどのそとのそのまたむこう
 モーリス・センダックは、そうした「悪夢」としての「絵本」を子供に与えつづけた。
 なぜ「悪夢」が子供にとって必要なのか。
 それは、これから出会うことになる「世界」には、それがどんなところであろうと、必ず「外側」がある、ということを教えるためだ。そうしたことを知っておけば、子供達はどんな「世界」に出くわそうとも、その「世界」には「外側」があり、目に見えるものだけが真実ではないとわかるからだ。
 そうした「外側」は、電子書籍の中に現れることはない。
 スイッチを切れば真っ暗になって、メモリを消せば真っ白になる画面には、「悪夢」が現れる余地はないのだ。
 紙の本は、閉じてもそこにある。開かなくとも書かれたことは消えない。たとえ本棚の向うに押し込もうとも、ひょんなことから目の前に転がり出る。
 科学のチカラによって悪夢をぬぐいさられた電子書籍では、「世界」の「外側」を子供に示すことができないのだ。
 だからセンダックは、電子書籍が大嫌いだった。
 センダックは、子供にウソをつきたくなかったのだ。
Maurice Sendak: 'I refuse to lie to children'
http://www.theguardian.com/books/2011/oct/02/maurice-sendak-interview

 >Ebooks: "I hate them. It's like making believe there's another kind of sex. There isn't another kind of sex. There isn't another kind of book! A book is a book is a book."

 なんとまあ、それこそ子供には聞かせられないような罵倒だ。
 このセンダックによる強烈な嫌悪は、近年科学者の間で語られるAI(人工知能)の問題につながってくると思う。

 子供たちにこの上ない「悪夢」を残して、二〇一二年にセンダックは亡くなった。
 初めて子供に与える本は電子書籍、という時代は来るだろうか?


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