一人の男の子がいる。年齢は五歳くらいとしようか。
ある日、泣きながら家に帰ってきて、三つ上の兄に自らの悲劇を物語る。
「公園に遊びにいったら、みんなが意地悪して遊んでくれない。自分が遊ぼうとするとジャマばかりする」
椿姫ばりの真剣な訴えに、兄は心動かされ、弟とともに公園に行く。
そして、そこにいる子供たちに、なんで俺の弟をいじめるのか、と問い質した。
すると帰ってきた答えは
「だって、順番とばしばっかりするし」
「お砂場でお山作ってると踏みつけにくるし」
「ブランコずっとやってて独り占めするし」
子供たちばかりでなく、公園にいた誰かのお母さんもその通りだという。
「ほんとうか?」と弟に聞き返すと、「うるせえ!」と逆ギレした。
兄は弟の頭をはたいて一言、「お前が悪い!」
おそらくは今も、世界のどこかの家や学校や公園で、似たような光景が繰り返されていることだろう。
それと同じことが、ついこの間、日本でもあった。
しかしそれは、五歳児ではなくいい歳した大人たちによって、公園ではなく国権の最高機関で繰り広げられたのだ。
あんぽほーせーとやらの意見を聞くために、学者先生にお願いしたら、自分たちが連れてきた先生から「ダメ」を出されたのだ。
憲法がどうとか、集団的自衛権がどうとか、そういうことがわからなくても、これがとんでもなく幼稚で愚かで恥ずかしいことだ、ということはわかる。
それは、政治云々以前に、人としてダメダメだからだ。
世界は、自分のためだけに用意されたスイートルームではなく、自分以外の人間は、自分の命令を聞くためのドアマンやベルボーイではなく、自分の親は、自分のためなら不可能を可能にする万能のコンシェルジェなどではない、ということを教えるのは、子を育てるものの最低の「義務」である。
ところが、どこかでそれを教わり損なった人がちょくちょく現れる。
それはおおむね、「ぼんぼん」とか「おぼっちゃま」とか呼ばれる人たちだ。
そして今、なぜかそういう人がこの国を牛耳っており、なぜか少なからぬ人がそれを支持している。
おそらくは多くの人たちが、子供をのびのびと育てすぎたのだろう。
だが現在、国会の会期は三ヶ月も延長され、国の天辺にいる五歳児たちは「うるせえうるせえ!」と逆ギレしたままだ。
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