2015年6月4日木曜日

作られた伝統ではない本当の「伝統」というものは全然クールじゃなかったりする

 我が家には一つの「伝統」がある。
  それは、決して明かすことのできない「伝統」である。
  その「伝統」を受け容れるものだけが、我が娘の婿となりうる。
    問うなかれ、問う勿れ、問フ勿レ
    聞ケハ カナラツ
    気カ フレル

 と、B級ホラーっぽく始めてみたけど、こういう「伝統」ってのは、どんな家にも絶対一つはあるもんだと思う。
 そしてそれは例外なく、すごーく、くだんなくて、ばかばかしくて、マジなのそれ?な感じのものだ。当然、歴史なんか全然なくて、一五年くらい前にできたものだったりする。
 秘密になってるのは、外にバレるとおぞましいからじゃなくて、すごく恥ずかしいからだ。なので、我が家の「伝統」も秘密ヒミツ鈴木ヒロミツなのである。
 まあでも、本当の「伝統」、その家の、ひいては国家の、本質を現す「伝統」ってのは、そういうもんじゃないかと思う。くだんなくて、ばかばかしくて、マジなのそれ?な感じの。

 皆さんは「初夢」というものが、なぜ一月一日ではなく、二日の晩の夢なのかご存知だろうか。
 それは、明治まで一月一日というのは、「何もしない日」だったからだ。その日は、ほとんど「生活」らしいことはしないので、お年始もしなけりゃ初詣もしない。ヘタすりゃ雨戸閉め切って、薄暗い中でじっとして一日を過ごす。これが本当の「伝統的な」正月の迎え方で、つまりは「寝正月」こそが日本の「伝統」なのだ。かまどに火も入れないので、食事は作り置きをもそもそ口にするだけ。その作り置きが金持ちによって「おせち」に形を変えたのだ。
 だから、一日は「何もしない」ことになっているので、一日の晩に夢を見たとしてもそれは見なかったことになる。「初夢は二日の晩に見た夢を指す」というのは、こうした本来の「伝統」的な正月の名残なのである。
 こんな具合に明治になって以降に作られた伝統というのは他にもあって、神前結婚なんてのは大正天皇がキリスト教のマネをしてやったのが最初なのだ。昔の結婚式に神道は関係なかった。

創られた伝統 (文化人類学叢書)
 翻って、ヨーロッパはどうかというと、たいして日本と事情は変わんなかったりする。
 バッキンガム宮殿あたりで、兵隊がおもちゃみたくぴっこんたっこん歩いてんのは、一八七〇年以降に作られたものだそうな。
 明治維新は一八六八年だけど、ヨーロッパでも一八七〇から七一年に普仏戦争があった。それから第一次世界大戦が起こる一九一四年まで、ヨーロッパはなんとなく安定した時期を迎える。シュテファン・ツヴァイクは「ずっとこのままの世界が続くと思っていた」そうだ。
 こうして少しゆとりができ、国境線も固定されてくると、国家はたがいに文化の差異、その成熟度の高低を競うようになってくる。
 そう、「伝統を創る」ことは、当時のヨーロッパの最新流行だったのだ。
 そうした動きは日本にも飛び火して、最初は何でもかんでもヨーロッパのモノマネをしようとしていたのが、「独自の『伝統』を持たねば一等国として認められないらしい」となった。そこで大慌てでヨーロッパ向けのわかりやすい伝統を整備したのが、今に残る日本の伝統なのである。決して太古の昔から続いていたわけではない。

 そんなわけで、外国人に見せるための、かっこよくてクールでおもてなしな伝統は、言ってみればナチュラルメイクのようなものなのだ。
 本当の、すっぴんの、「伝統」は別にある。
 それはだいたい、つまんない、くだんない、ばかばかしい、ものだ。
 たとえば、公園のベンチで居眠りするおばちゃんが来ているアニマルプリントのシャツとか。
 春先に粗大ごみ置き場に出現する、マンガやアニメのシールがところ狭しと貼付けられた小学生男子の勉強机とか。
 カラオケボックスで一晩中で熱唱するOLとか。
 股間の露出補正がいかれた兄ちゃんとか。
 電車の中でスマホでゲームをしている、お骨を抱えた喪服のおっさんとか。
 その他いろいろ。

伝統とは怠惰のことだ
Tradition ist Schlamperei.
(グスタフ・マーラー)

0 件のコメント:

コメントを投稿