続けるつもりはなかったけど、ふと疑問が浮かんできたので昨日の続き。
有名な神学論争に「アダムのへそ」というものがあるという。
なぜ万能の神は、人の胎から生まれたわけでもないアダムにへそを作りたもうたのか、という論争だ。
確かな文献に当たったわけではないが、とにかく神学論争といえばどんなくだらないことも大真面目にやらかすので、こういう議題があって何の不思議もない。
そんな神学者たちだが、なぜアダムに乳首があることを不思議には思わなかったのだろう?
名画の数々を見ても、アダムにはきちんと乳首が書かれている。
近代以前、キリスト教はちょっとしたことで派閥ができ、中には「おっぱい派」と呼ばれるものもあった。とある修道士がうっかり女性の胸に触ったのを許すか許さないかで論争となり、「許す」とした側が「おっぱい派」と呼ばれたのである。しかしこれ、ピエール・ベールの『歴史批評辞典』以外で見たことないんで、今ひとつ確信が持てない。
閑話休題
しかしまあ、日本の漫画などでは描いてある方が少数派なので、記号化された「男性」には、やはり乳首は不要ということなのだろう。
逆に記号化される以前のリアルな男には必要とされるわけで、自身を否定するものでありながら必要とされる、「負のアイディンティティ」とでも呼ぶべきものかもしれない。いや、呼んだからどうなるってもんでないが。
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