代表作『幕末太陽伝』の名シーンとして、石原裕次郎扮する高杉晋作に「切る!」と船上ですごまれたとき、フランキー堺演ずる「居残り佐平次」がこう見栄を切ってみせる場面がある。
「へ、首がとんでも動いてみせまさぁ」
これは鶴屋南北『東海道四谷怪談』での伊右衛門のセリフからとったものだろう。川島雄三の読書の幅広さとともに、それを噛み砕き己のものとしてしまう消化力には恐れ入ってしまう。このセリフは一時、『幕末太陽伝』の名セリフとして広がっていたくらいだ。(以下、ややネタバレがあります)
さて、この「首がとんでも動いてみせる」という江戸っ子の意気地は、ちょいと昔は体制への反抗として受け取られていた。といっても、映画でそれを言う相手は維新の志士だったりするわけだが。
では、「首がとんでも動く」とは、どのような状況なのか。
ジャック・デリダ『パピエ・マシン』の「『彼は走っていた、死んでもなお』やあ、やあ」から引いてみよう。
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わたしは幼年期に目撃した鶏のことをまだ思い出します。ユダヤ教の大祭日の一つの贖いの日の数日前に、生け贄にされたのです。首を切られたあとも鶏は頭なしで、走りつづけたのです。突然訪れた不幸から、血まみれになって自らを救おうとするかのようでした。わたしがものを書くときは、自分はあの鶏のようだと考えるのです。しかしわたしが自分のことを目にするのは、わたしの死のあとで走る姿、本当に自分の死を追っている姿としてです。ですからわたしが自分の姿を見るそのところで、わたしはなんとか理解しようと試みるのです(理解できた試しはないのですが)
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『四谷怪談』の伊右衛門も、直助にウナギにたとえられたあと、首がとんでもしばらく動いているウナギに己を重ねている。
しかし、伊右衛門が言うのと、ここでのデリダの告白と、「居残り佐平次」のセリフでは、やや趣きが違うように思われる。
死んでもなお動く、というのは、自分を世界とか歴史とかの「流れ」の中に改めて存在させること、つまりは「実存」するということなのだ。それはゾンビのように無目的に徘徊して仲間を増やすためではなく、自らの死を超越するために動き、そして走るのである。
上記のジャック・デリダの文章は、『レ・タン・モデルヌ(現代)』というサルトルが死ぬまで編集長を務めた雑誌の、サルトルの死後編集長となることになったクロード・ランズマン宛の書簡として書かれている。ランズマンは、以前エントリーで取り上げた映画『ショアー』を監督した人でもある。
サルトルのいう実存主義とは、死んでもなお動きをやめないもののことだ。
つまりは、「居残り佐平次」は自分の死をぽんと目の前に投げ出すことで、はからずも実存してしまっているのである。佐平次は町人だが伊右衛門は曲がりなりにも武士なので、この身分の違いがセリフの有り様をまったく変えている。
それが人々に強い印象を残し、『幕末太陽伝』という太陽族の名残のような映画において、佐平次は今もファンを魅了しつづけているのだ。
『幕末太陽伝』のラストシーン、当初川島雄三は走り去る佐平次をそのまま現代の町まで疾走させようとしたという。
その感覚はあまりに先走りすぎていてスタッフたちの同意を得られず、今ある形に落ち着いたのだそうだ。
走り去る佐平次の後から「地獄さ堕ちるぞー」という声がかけられる。それは時折喀血する佐平次の死を暗示し、なおも走り往く佐平次は、それこそ「『彼は走っていた、死んでもなお』やあ、やあ」というものとなる。
最後に、サルトルの「自分の時代のために書く」を『パピエ・マシン』から孫引きしておこう。
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マラトンの伝令は、アテナイに到着する一時間前に死んでいたという。伝令は死んでいたのに、それでもなお走っていたのだ。そして死にながらギリシア軍の勝利を告げたのである。美しい神話で、死者は死んだ後もまだしばらくは生きているかのように動くことを教えてくれるのだ。しばらくとは一〇年間、おそらく五〇年か、ともかく限られた期間のことだ。それから死者をもう一度葬るのだ。われわれが作家に認める時間はせいぜいこのくらいだ。作品が怒りや困惑や恥辱や憎悪や愛をかきたてる間は、作家はすでに影のようなものであっても、まだ生きているのだ。後は野となれ山となれ。われわれは有限なもののモラルと芸術を支持する。
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川島雄三についてふれた過去のエントリー
(こちらのブログに再録しました)
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