2015年7月8日水曜日

エロイムエッサイムのつづき

陰陽師 コミック 全13巻完結セット (Jets comics) [マーケットプレイス コミックセット]

 十年くらい前、ちょっとした安倍晴明ブームがあった。
 なかでも岡野玲子による漫画は、その原作である夢枕獏の小説を越えてブームの中心にあった。私も漫画は読んでいるが、小説の方は読んでなかったりする。

 で、この漫画に「名とは、一番短い呪(しゅ)だ」というセリフが出てくる。確か安倍晴明が陰陽道について解説する場面だったが、まあ確かにそう言えるわな、と思う。
 漫画では「呪」というものの内容がはっきりしないけど、前回述べたように、記号というものは質量を捨てて実体というものを持ちたがるという「呪い」がかけられている。
 どんなに科学が発展しようと、人間が幽霊や死後の世界や稲川淳二を求め、悪魔や神様や仏様や美輪明宏を信じてしまうのは、この「記号」の働きによるものなのだ。
 記号を構造化して言語として操ることでとりあえずは満足するが、それで終ると言うことはない。あ、ヨハネ福音書の「言葉は神なりき」はちょっと惜しかったね。ニアピン賞。

 そんなわけで、記号はでかい石碑にや石板に刻まれ、竹簡からパピルスから紙へ、それがまとめられて本となり、さらには小さな活字が工夫され、どんどんその「質量」を少なくし、今は電子書籍になろうとしているわけだ。
 しかしそれでも、記号が記号である限り、実体化へ「呪い」が消えてなくなることはない。
 そして、それがいったい何をもたらすのか、今の所はさっぱりわかっていない。
 もしかすると、まったく新たな書籍の形を見出し、そこに実体化することになるかもしれない。
 電子のデータ、浮遊する記号はどこまで集めても「仮」のものであり、本物にはならないからだ。インターネットがどんなに膨大な情報を収集しようと、本として考えるならそれは「一冊」でしかないのである。

 漫画『陰陽師』での「呪(しゅ)」の在り方は、オカルティズムであって、操作性を有するものだが、それは記号の持つ実体化への呪いの鏡像のようなものだ。似ているが、在り方が逆になっている。
 余談だが、この漫画を書いた岡野玲子は『橋のない川』で知られる住井すゑと親しく、作品集の月報にも文章を寄せている。
 そして、主人公の安倍晴明は天皇である主上を「あの男」と呼び、この漫画には「天照大神」というものが影さえも見えないのだ。


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