えーっと、タイトルは『アナと雪の女王』で歌ってもらえるとうれしい。
イソップの「アリとキリギリス」は、元々の話はキリギリスじゃなくて蝉だったんだそうだ。それがヨーロッパの北の方に広がるに従って、キリギリスに置き換わったんだとか。だいたい蝉じゃ寿命が短すぎて、話が成り立たないし。イソップは、蝉という生き物が一週間か長くてもひと月ほどしか生きられない、ということを知らなかったのだろう。
知っていたらもっと別な話になったはずだ。
さて、そんな働き者の職人Artisanのアリさんだが、音楽を生業とするアーティストArtistのキリギリスを見習った方がいい、ということをおっしゃる方がいる。元小泉内閣大臣で現在慶大教授でパソナグループ会長の竹中平蔵 せんせえだ。
「ヒラ社員も残業代ゼロ」構想の全内幕
http://toyokeizai.net/articles/-/38399?page=7
>ただ本当に柔軟な働き方をしたいと思っている人はたくさんいる。「残業代ゼロ」になるとあおる議論もあるが、今でもアーティストは残業代ゼロなんですよ。現実にはそういう働き方のほうが高い付加価値を生み出す時代になっている。
はー、せっかく新しい時代の新しい働き方についてご託宣を垂れているというのに、この一言でおじゃんになっちゃってる。学者先生の世間知らずは今に始まったことじゃないけど、大臣までつとめた影響力のある人がこれってのは、かなり問題があるんじゃないかと。だってこれ、小学生が「交通事故をなくすには、A級ライセンスとった人だけ運転できることにすればいいじゃん!」て言ってんのと同レベルだもん。
ま、そのレベルの低さはともかく、この人アーティストってもんを勘違いしている。もしかするとアーティストってのは成功したアーティストだけで、失敗したアーティストはアーティストとは呼ばない、ということなのだろうか。
また以前本宅で書いたことの繰り返しになっちゃうけど、もう一度確認しておこう。
まず、アリさんであるところの職人Artisanは、全力では働かない。なぜなら、その仕事で食っているわけで、食っているからにはその仕事を継続しなければならないわけで、継続するには、体調が悪いとか、ちょっと熱っぽいとか、二日酔いだとか、昨晩飲んで帰ったら妻に逆四の字かけられて腰が痛いとか、そんなこと言ってられないのだ。
だから職人Artisanは常に七割くらいの力で仕事をする。七割の力でまともな仕事ができるようになるのが、「一人前」というやつなのだ。
対するキリギリスのアーティストArtistてのは、常に全力、というか全力以上に働く。なぜなら、その仕事に己の全存在を懸けているわけで、懸けているからには不満のある仕事はできないわけで、体調が悪いとか、ちょっと熱っぽいとか、二日酔いだとか、昨晩浮気がばれて妻にドロップキックをかまされて鼻血吹いたとか、そういう理由で簡単に休むのだ。
だからアーティストArtistてのは常に十割どころか、二十割くらいの力を仕事に注ぎ込む。それでこそが立派な「芸術家」というやつなのだ。
さて、ここで「資本主義」というやつが、職人ArtisanとアーティストArtistの入れ替えをもくろんだとする。
なんたって、七割の力で働いてるやつを、二十割の力で働いているやつと入れ替えるんだから、アーティストArtistを一人雇えば、職人Artisanを三人クビにできる。やったね、人件費がめっちゃ節約できちゃうじゃん!というわけだ。
実際にはここまでバカじゃなくて、もっと単純でバカなことを考えて人事をやった結果、「失われた二十年」てやつになってしまったのだ。
で、そのことについて、ぜーんぜん、まーったく、さーっぱり反省してないんだな、ということが、上記の「アーティスト発言」にしっかり反映されてしまっているわけで、経済学者って死ぬまで分からないというか、きっと死んでも分かってやるもんか、くらいに考えてるんだろうなあ……
今思えば、職人を「コンピューターもかなわない超絶的な技をふるうスーパーマン」みたいに持ち上げだしたとき、職人Artisanの本来の意味が失われだしたんだろうね。
職人 (岩波新書)
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