昔々その昔、九州のとある川に橋を架けることになりました。ところが、何度やっても流されてしまって上手くいきません。
そこで村の人たちは相談して、人柱を建てることにしました。
人柱というのは、生きた人を埋めた上に柱を建てるやり方で、そうするとどんな風や大水にも負けない丈夫な柱になるのです。
人柱は誰でも良いというわけにはいきません。村人たちは村を通る道で、よそから来た人を捕まえることにしました。
最初に捕まえたのはよぼよぼの老婆でした。人柱のことを告げると老婆はこう言いました。
2015年3月30日月曜日
2015年3月27日金曜日
人を殴ると心も身体もぽかぽかするよね?もしくは『暴力のオントロギー」についてのつづき
現代思想を読む事典 (講談社現代新書) |
今村仁司編、ということだが、執筆者は五十名を越え、その中には廣松渉・鷲田清一・丸山圭三郎、そして内田樹なんて名前もあったりする。
この中にはもちろん、「暴力」という項目がある。
で、また当然のように今村仁司がそこを執筆している。
その中身は『暴力のオントロギー』の内容紹介のようなもので、参考文献の欄には自著の『暴力の----』と、これまた自著の『排除の構造』しか載せていない。
なんつーか、その、「もんくあっか?ああ?」という声が聞こえてきそうだ。ちょっと抜き出してみよう。
2015年3月25日水曜日
人を殴ると心も身体もぽかぽかするよね?もしくは『暴力のオントロギー」についてのもろもろ
今村仁司、貨幣とは何だろうか (ちくま新書) |
それは初めのうち、シャープペンですい、すい、と軽く線が引かれていて、そのうち線が段々に濃くなり、それにつれて線引きした文に矢印で?マークをつけるようになってきた。
やがてページにいくつもの「?」が飛び交い、そのうち余白に「この本を書いたやつは頭がおかしい」と書かれ、そこから先は読んだ形跡がなかった。
分野は違えど大学教授である。何が彼をそこまで惑わせたのだろう?
2015年3月15日日曜日
2015年3月6日金曜日
2015年3月4日水曜日
ユダヤ人はどこにいるか?もしくは映画『ショアー』を観て思ったこと
「なぜ微笑むのですか?」
話の途中に挟まれた質問に、男は応えない。
一瞬とまどったように視線を外し、また元通りインタビューは続く。
思わずインタビュアーがこの問いを口にした気持ちはわかる。男が今話しているのは、四十万人が殺されたヘウムノ絶滅収容所の思い出だからだ。
男の名はモルデハイ・ポドフレブニク。
収容所で生き残った二人のうちの一人だ。あのアイヒマン裁判にも、検察側証人として出廷している。
インタビューしているのは、この映画『ショアーSHOAH』を作ったクロード・ランズマン。
映画の冒頭は、もう一人の生き残りであるシモン・スレブルニクの物語が文字で流れる。次に彼がかつてナチ将校とともに渡った川を、その時歌ったと同じ民謡を口ずさみながら船に乗ってゆく。歌の上手な少年だった彼は、時々そうして外に連れ出されたという。
そして、シモン・スレブルニクも常ににこやかだ。
彼ら二人に驚かされるのは、そのたたずまいが実に「普通」だということだ。町の中を歩けば、たちまち人ごみにまぎれてしまうだろう。安っぽい劇画に毒された人間が想像するような、血なまぐさいオーラなど微塵も発してはいない。すぐ隣に座っていたとしても、何も違和感を覚えそうにない。そうと言われなければ、殺された四十万人のうちの生き残りだとは、まったくわからないだろう。
教会の祭の中、シモン・スレブルニクは人々に囲まれる。当時を記憶する人も多い。変にとがった眼鏡をかけた男が、興奮してカメラの前でまくしたてる。
「ユダヤ人たちが集められているところを見た。その中でラビが同胞たちに説いていた。自分たちはイエス・キリストを罪なくして処刑した。だから、これから何が起ころうと甘んじて受けよう、と」云々。だいたいこのような内容だ。
眼鏡の男の演説はユダヤ人虐殺について、その罪をユダヤ人の側にかぶせようとしているように聞こえた。
だが、それでも、シモン・スレブルニクは終始にこやかだった。
今、日本にユダヤ人はどれほどいるのだろう。どれだけの日本人が彼らと親しくしているだろう。ユダヤ人など、見たこともない人も多いだろう日本で、この『ショアーSHOAH』が上映されることに、どれほどの切実さがあるのだろう。
元同盟国として?
話の途中に挟まれた質問に、男は応えない。
一瞬とまどったように視線を外し、また元通りインタビューは続く。
思わずインタビュアーがこの問いを口にした気持ちはわかる。男が今話しているのは、四十万人が殺されたヘウムノ絶滅収容所の思い出だからだ。
男の名はモルデハイ・ポドフレブニク。
収容所で生き残った二人のうちの一人だ。あのアイヒマン裁判にも、検察側証人として出廷している。
インタビューしているのは、この映画『ショアーSHOAH』を作ったクロード・ランズマン。
映画の冒頭は、もう一人の生き残りであるシモン・スレブルニクの物語が文字で流れる。次に彼がかつてナチ将校とともに渡った川を、その時歌ったと同じ民謡を口ずさみながら船に乗ってゆく。歌の上手な少年だった彼は、時々そうして外に連れ出されたという。
そして、シモン・スレブルニクも常ににこやかだ。
彼ら二人に驚かされるのは、そのたたずまいが実に「普通」だということだ。町の中を歩けば、たちまち人ごみにまぎれてしまうだろう。安っぽい劇画に毒された人間が想像するような、血なまぐさいオーラなど微塵も発してはいない。すぐ隣に座っていたとしても、何も違和感を覚えそうにない。そうと言われなければ、殺された四十万人のうちの生き残りだとは、まったくわからないだろう。
教会の祭の中、シモン・スレブルニクは人々に囲まれる。当時を記憶する人も多い。変にとがった眼鏡をかけた男が、興奮してカメラの前でまくしたてる。
「ユダヤ人たちが集められているところを見た。その中でラビが同胞たちに説いていた。自分たちはイエス・キリストを罪なくして処刑した。だから、これから何が起ころうと甘んじて受けよう、と」云々。だいたいこのような内容だ。
眼鏡の男の演説はユダヤ人虐殺について、その罪をユダヤ人の側にかぶせようとしているように聞こえた。
だが、それでも、シモン・スレブルニクは終始にこやかだった。
今、日本にユダヤ人はどれほどいるのだろう。どれだけの日本人が彼らと親しくしているだろう。ユダヤ人など、見たこともない人も多いだろう日本で、この『ショアーSHOAH』が上映されることに、どれほどの切実さがあるのだろう。
元同盟国として?
2015年3月2日月曜日
【革命に見る格差と土地の関係編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら
ヘンリー八世 |
そんなわけで、どんなわけだか知らんけど、ヘンリー八世は奥さんと別れて愛人と結婚するために、ローマ・カトリックに絶縁状を突きつけたのだった。
そしてさらにまた、当時のイギリスで絶大な勢力を持っていた修道院を叩き出し、その領地をぼっしゅーと(古い)したのだった。その土地がどのくらいのもんだったかというと、王国の土地財産のうち四〜五分の一を占めていたくらいだ。
それらの土地はほぼ、貴族・廷臣・官吏・ジェントリーに分け与えられ、より一層の格差の拡大に貢献したのだった。
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