中曽根康弘が死んだ。百一歳だったという。一時代を画した政治家でもあるし、せめて「亡くなった」と書いて多少の敬意を表すべきかもしれないが、私はただ「死んだ」としておきたく思う。というのも、どうにも片づかない、もやもやの残る思い出があるからだ。
昔々、まだ大学生だった頃、中曽根康弘を「目撃」した。以下に述べる体験は、やや劇画めいてはいるが、まったくの事実である。
2019年11月29日金曜日
2019年10月24日木曜日
この「つまらなさ」はただ事ではない!!の続き
2019年9月30日月曜日
2019年6月22日土曜日
天使が遠ざかりながら「過去」をカメラで写したとしたらこんな映画になるのだろう
幼い頃見る夢はどれもモノクロだった。
それは当時当たり前のことで、色付きの夢を見るのは「き○がい」に多い、などと子供向けの学習雑誌(小学館のやつ)に堂々と書かれていたのを憶えている。なので、たまにカラーの夢を見ると、子供心にショックを受けたりもした。
だいたい夢だけではなく、写真も映画もテレビもモノクロだった。
今は、夢を見るとほとんど色がついている。写真も映画もテレビもカラーが普通だ。色付きの夢を見ることが、特殊なことのように言う人もいなくなった。
だが、幼い頃のことが夢に出てくると、それは今でもモノクロのままだ。
遠ざかる記憶は色彩を失うものなのか。
誰もがそうだとは限らないだろうが、過去における「何か」を克明に映そうとするとき、人はそれをモノクロで表すことが多いようだ。
「何か」とは、およそ「罪」に関わる何かである。
2019年5月30日木曜日
座右の銘なんてないけれど折にふれ思い出す言葉のいくつかを書いてみる
2019年5月25日土曜日
2019年5月17日金曜日
2019年4月27日土曜日
2019年4月19日金曜日
2019年4月4日木曜日
2019年2月18日月曜日
子供たちを殺すものは誰か
ついこの間まで世間は、父親が幼い娘を虐めぬいた末に殺した事件について語ることで、腹をつぶされた蛇のようにのたうっていた。
やや過剰とも思える報道に触れて、思い出したのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』である。その中の有名な「大審問官」の部分で、イワンがとある事件について語っている。
やや過剰とも思える報道に触れて、思い出したのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』である。その中の有名な「大審問官」の部分で、イワンがとある事件について語っている。
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