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「尊王攘夷」というものがあった。
明治維新の原動力となった、と普通は解説されている。でもこれ、ほんとのとこは幕府への「いやがらせ」みたいなものなんだよね。借金の古証文を持ち出して、さーどーするどーするとやってるようなもん。
この四文字を唱えて維新の志士が命を懸けて頑張った、ということはなくて、実際に彼らが命を懸けたのは自分の「名」を挙げるためだ。サムライの本質に立ち返ったわけ。
「尊王」も「攘夷」も、昔々のずーっと昔、サムライというものが貴族から自立しだした頃、その暴力のアリバイとしてつくられたような、言わば「言い訳」だ。「天皇を尊敬するから大目に見てね」「夷狄(蝦夷など)を打ち払うんだからかまわないだろ」てな感じ。つまり建前なんだが、幕府は建前をうっちゃってしまえるほど本音(つまり土地という世襲的「財産」への欲望)に自覚的じゃなかったんで、言い返すこともできずにずるずる引きずられてしまった。
「尊王攘夷」てのは別に絶対のイデオロギーじゃなくて、ただの幕府への嫌がらせだったから、幕府が倒れたとたんに「そんなことも言ってたね」てな具合になった。攘夷はもちろん尊王だって、天皇を東京に移して関白とかの位を全部なくしてわやにした。