今のところ、ハイデガーと言えばフッサールの直弟子なんだから現象学だということになっていて、区別するためにフッサールについては「超越論的現象学」、ハイデガーの方は「解釈学的現象学」と呼ばれていたりする。
しかし、読んでみればわかるが、ハイデガーのそれは「現象学」というより「解釈学」の意味合いの方が強く、「現象学的解釈学」と呼んだ方がいいんじゃないかという意見があって、私もそれに賛成したいように思う。
では、「解釈学」ってどんなのだろう?
2016年11月15日火曜日
2016年11月2日水曜日
ほんまでっか?ハイデッガー!【…がひっくり返せなかった『存在と時間』という名の「重すぎるちゃぶ台」編】
あれはそう、娘が小学校に上がったばかりのことだった。
ちょっと風邪をひいた娘を病院に連れて行った。そこの小児科の待合室には、大きなホワイトボードがあって、治療を待つ子供達が勝手に落書きして暇を潰せるようになっていた。
私が手持ち無沙汰に文庫本に目を落としていると、「パパ、パパ」と病気にしては元気な娘の呼び声が聞こえた。「見て見て!」
なんだ?、と顔を上げると、ホワイトボードいっぱいに幼い字でこう書かれてあった。
「ぱぱ そんざいってなに」
一点の曇りもない実話である。これだから子供というやつは油断ならない。
私は何と言って説明しただろう?
「えーと、イスがあるとか、机があるとか、いろんなものが『ある』ってことだよ」
なんとも残念な説明である。しかし、小学校に上がったばかりの子供に、「存在」について説明できる術があるだろうか?
いや、いい大人に向けてでも無理だろう。
ハイデガーだって失敗してるのに。
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