2014年10月15日水曜日

【読んでなくても読んだフリくらいはできるわけで編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 ピケティへの批判が「すげーな」と思わされるのは、明らかに読んでない人が読んだフリして批判してるとこだ。なんだかわけのわからんやつが訳の分からん批判をしてくるようになったら、その論者は立派に「一流」の仲間入りをしたことになる。
 だいたいこの本がこんなに分厚くなったのって、考えうる批判に先回りして答えているからだ。
「アメリカの格差は所得格差だぞー、ヨーロッパの身分とかとごっちゃにしてないか?」みたいのは、アメリカ人は誰もが口にしたくなるみたいだけど、二章でたっぷり語られてるし。また、「日本には当てはまらないもん!」と叫んでる「三丁目の夕日」な人もいるけど、「それはこれから、いや今まさに起こってることなんだよ」ということ。あと、収穫逓減云々てのもちゃーんとケアされてるんで。

 こういう「読んでないのに批判してくる人がいっぱい」なのは、マルクスも同じ。だからピケティが、二一世紀のマルクスなんて呼ばれちゃうのは伊達じゃない、てことかも。
 マルクスに対するありがちな、「読んでない」でする批判はいろいろある。
 よくあるのは、「マルクスは私有財産を否定してる!」ての。いや、そりゃ積極的には肯定してないけどね。否定したのは生産手段(会社とか工場とか)を私物化することなんで、財産の否定なんかしてない。この勘違いはマルクスが生きてるうちからあったらしい。
 あと、「マルクスはありえないユートピアを夢見ていた」とか。そういう甘〜い理想主義は、マルクスが一番嫌ったもので、娘婿に「私は『マルクス主義者』などではない!」と怒鳴ったのは有名な話。
 それから、マルクスにとってのプロレタリアってのは、決して究極のあるべき人間というわけではなくて、「プロレタリア独裁」てのも、それですべて解決ということではない。『資本論』の中ですら、「無法者」めいたニュアンスで語られたりするし。
 そして、これは左翼の人も勘違いしてたりするんだけど、マルクスは決して弱者に優しくない。社会での「再分配」についても、合理化すれば解決するから不要、みたいな口ぶりだ。この「弱者に優しくない」部分を、ぐつぐつ煮詰めて焦げ付かせたのが、悪名高き「スターリニズム」てわけ。

 だからスターリンのソ連とそれに続く一派に対抗するため、資本主義国家は「弱者に優しく」する必要があったのだ。こうした資本主義が自己否定してるみたいな傾向は、ソ連「経済」てやつがぶいぶい言ってるうちはずっと続いていて、だんだんソ連経済が下向きになってくるとともに、節分のイワシの頭みたいにポイポイ捨てられることとなった。
 この二十世紀の「資本主義がまだ優しかった時代」という、新婚時代にDV夫がまともだった思い出みたいのは、やっぱりこの本では「なんか知らんけどそうなってるよね」てことになってる。
 その答は、戦後の日本経済を分析することで得られるような気がするんだけど……



Capital in the Twenty-First Century


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以下、続いて書かれたエントリーのリンク集。
読み進むにつれて触発され、「財産」が「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする、ということについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。

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