2014年10月4日土曜日

おばあさんは何も言わなかったが少しこわかった「祭り」のこと

 明日は町内の祭りだとのことで、駅前の米店が車でアナウンスして回っていた。私が住むマンションはすっかり子供が減ってしまい、今年のこども神輿の出張は無しになってしまったそうだ。

 幼い頃、祖母に手を引かれて「祭り」に行ったことを憶えている。その日はなぜか、父母も弟らも祖父も伯父叔母もおらず、祖母と二人きりだった。祖母は、「近所の八幡さんでお祭りがあるで、連れてったるわな」と少しすまなそうに言った。別な町での祭りには行ったことがあったので、また浴衣を着て縁日を見て回るのだろうと、幼い私はうかれた。しかし、浴衣を着ることもなく、普通につっかけを履いて日の暮れかかった畑へと出た。畑を抜けると八幡神社の参道の横へ、いきなり出られるのだ。

 神社はその中央の石垣の上に物置ほどの大きさの祠があり、その下の両脇には、ややくたびれた小さな祠が置かれていた。私はよく小さい祠の上に登っては飛び降りる、ということをしていた。成人して神社を訪れると、誰が調べたのか來歴が掲示されており、それによるとその何でもなさそうな祠は、元々隠れキリシタンのもので明治期の神仏習合のあおりでここに移された云々ということであった。
 さて、神社では確かに祭りが行われているようだった。が、そこにいた人間は祖母と私の二人だけだった。人もいないのになぜ祭りだとわかったかというと、参道の両脇に提灯が並べて下げられていたからだ。
 祖母は私の手を引いて神社にお参りした。私もいっしょに手を合わせた。祖母は何も言わなかった。私も黙っていた。
 そのまま帰って二人でカレーライスを食べて祭りは終った。

「人生は祭りだ!La vita è un festival.」というのは有名なフェリーニの『8 1/2』のラストのセリフである。この映画を見た晩は、誰もが寝床の中で唱えたはずだ。「asa, nisi, masa! 朝、西、正!」秘密の呪文を唱えれば、世の不思議が消えることなく、祭りは永遠(とわ)に続くのだ。

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