2014年10月11日土曜日

【アメリカの経済学者って編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 だいたいは読み終わってて、あとは著者の提言なんだけど、まあそれは置いといて、と。
 えーと、以前【まだ途中なんだけど感想を少し編】でもってこんなことを書いた。

>で、まだ最後まで読み切っていない段階でこんなことを書くのもなんだけど、ピケティは「マルキスト」というレッテルを避けるためか、わざと書いてないことがあるような気がする。
 二度の大戦後、経済格差が縮まっているということについて、ピケティはただ「そうなってるよねー」みたいに流している。ともすると、戦争があったからそうなったとも読み取れそうな文脈になっている。

 うーん、なんでその間、ロシアで革命があってソ連が誕生して冷戦があったことの影響について無視すんだろ。やっぱ「マルキスト」って呼ばれたくないからかな。
 ソ連が崩壊するまでの間、資本主義も「修正版」になっていて、いろいろ手を尽くして下々にも財産が行き渡るようにしていたんだけどね。だって、マジで「ソ連に負けたらたいへん!」ってビビってたし。
 ソ連という「悪の帝国」があったおかげで、資本主義はその本性を隠して格差を縮めるようにし、「やっぱ資本主義がいちばん!」とみんなが思えるようになったわけだ。

 別にこの程度のことなら、ソ連経済を否定しつつ論ずることもできただろうに、やっぱ変な連中に揚げ足とられないようにしたんだろうな。

 うん、で、やっぱり書いてないね。ついでに、批判する側もピケティのことをアカだーマルキストだー、と騒ぐ割には、二十世紀後半の資本主義が、ソ連に対抗して「修正版」になってたことを、まったくふれようとしてない。少なくとも、自分の眼にはそんな記述が入ってこない。
 なんかさ、「ソ連なんて国のことなんか知らない」「アメリカ経済はそんな国の影響なんかカピバラのくしゃみほども感じてないよ」「ソ連?なにそれ?食えんの?」ぐらいな感じで、ソ連経済はこの世に何の痕跡も残さず消えたかのようだ。
 もう「マルクス」てのは、”FU◎K”の代用語としてしか使用されてないみたいで、もしかしてマッカーシズムってまだ営業中?と勘ぐりたくなる。
KARL MARX
 いやまったく、えんがちょきった小学生のように、アメリカの経済学者様方は「ソ連」というモノにふれたがらないので、たぶんピケティもそれに合わせたんだろうなーと思う。

 そんな調子だから、なんであの当時資本主義ってもんが多少は「まとも」だったのかってことから、みんなで申し合わせたように眼を背けてるんだよね。やれやれ。やれやれといえば、また村上春樹はノーベル賞からもれたんだっけ。
 そんなわけで、マルクスにちょっぴりふれたりふれなかったりしながらあれこれ書いてみたいと思う。

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以下、続いて書かれたエントリーのリンク集。
読み進むにつれて触発され、「財産」が「世襲」される時に経済的な事象を越えた振る舞いをする、ということについて書こうと思いました。が、あまりに大きなテーマだったので途中で切り上げました。また勉強しなおして、取り組みたいと思います。

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